ハワイ島東部の街ヒロの津波の物語

ハワイ島東部の街ヒロの津波の物語

ハワイの歴史・文化に詳しいライター・森出じゅんさんのコラム第29回。今回はハワイ島東部の町ヒロにある津波の軌跡についてのお話です。

公開日:2022.09.28

更新日:2022.10.07

森出じゅんのハワイ歴史&神話散歩

「津波の町」ヒロ。
津波にちなむ神話も

Aloha! ホノルル在住の森出じゅんです。

ハワイ文化に焦点を当て、ちょっと意外なハワイの横顔を紹介するこのコラム、今回は、久々にハワイ島がテーマ。島東部の町ヒロの、津波の軌跡についてお届けします。

Tsunamiが世界共通語になっていることでもわかる通り、日本はおびただしい津波の被害を被ってきた国ですが、実はヒロも然り。アメリカでは「津波の町」として知られます。特に1946年と1960年の津波の被害は甚大で、海の近くに2つあった日本人町が壊滅しているほどです。

古来、津波が多かった証拠に、ヒロには津波にまつわる神話も伝わっています。大昔、ヒロの沖合の海底に村があったとか。ある日、海底の村の男性が陸の酋長に仕え始め、その縁で妹が酋長の元に召されることになりました。ところがいつまでたっても帰ってこない娘を心配し、魚に変化(へんげ)した家族が、大波に乗ってやって来る…というのが、その顛末。ちなみに、ハワイ語で津波は「カイ・エエ」。また「カイ・ミミキ」といえば、津波前の大きな引き潮を意味します。

津波避難区域を示すヒロ町中の看板

そんなわけでダウンタウンには太平洋津波博物館があるほか、ヒロには悲劇の爪痕があちこちに残っています。まずは下の写真をご覧ください。ココナッツアイランド(ヒロハワイアンホテル前に浮かぶ小島)の椰子の木には、過去の津波の高さが示されています。細かいところまで見づらいですが、それによれば1957年の津波が高さ2.4メートル、1952年が同3.6メートル、1946年が同7.8メートル、1960年が同4.5メートル。ちなみにトップ画像が、この椰子の木が立つココナッツアイランドです。

1960年の津波で壊滅した
二つの日本人町とは?

このココナッツアイランド対岸のエリアはワイアケア半島と呼ばれ、ヒロハワイアンホテルといったホテルやレストランなどが集まっています。ゴルフ場も一つ。一帯には昔、「椰子島」という日本人町がありました(ココナッツアイランドとは異なります)。椰子島には小・中学校や体育館、寺院、映画館、ガソリンスタンドや薬局などさまざまなビジネスや住宅があり、ロコモコ発祥の店とされる「カフェ100」や鮮魚店「スイサン」、そして「KTAスーパーマーケット」が創業したのもこのエリア。これらの店は、今も移転先でヒロの名店として人気を集めています。

椰子島はまず1946年の津波で大被害を受けたものの、住民は団結して町を再建。ところが1960年5月23日、津波が再来し、またも壊滅状態に。…その後は跡地で人が暮らすことはなく、町が復興されることもありませんでした。後に同エリアに建てられたレストラン は、津波対策を施した造りになっています。

ヒロハワイアンホテル近くにあるヒロ・ベイ・カフェ。津波対策として高床式建築になっている。

ちなみに下の写真は、椰子島の瓦礫から発見された時計、通称「津波時計」。以前、体育館前に建っていた時計は津波が町を襲った深夜1時5分を指したまま止まっており、悲惨な津波の忘れ形見となっています。

さらに椰子島から約1キロほど離れた地、今はワイロア川州立公園が広がるエリアには、「新町」という日本人町がありました。こちらも椰子島と同じく1946年の津波後、再建されたものの、1960年の津波以降は空き地に。度重なる津波被害のため同地域が住居エリアから除かれ、緑地帯に指定されたからです。公園には今、カメハメハ大王像が鎮座しているほか、大王像の右側後方には、新町の元住人たちが寄贈した大きな津波の碑が。大王像を見学する際は、そちらも合わせて訪問いただきたいと思います。

写真提供:ハワイ州観光局

世界の津波の軌跡がわかる
太平洋津波博物館

最後に、ダウンタウンの海辺にある太平洋津波博物館をご紹介しましょう。津波に対する啓蒙を目的としたこの博物館では、世界中の巨大津波を検証する展示が見ものです。見所は、ヒロの大きな津波ごとに写真や生存者の証言を展示したハワイコーナー。前述の日本人町の津波前の光景や地図も、こちらで見ることができます。中でも1946年の津波に関する約20分の記録映画は迫力たっぷりで見応えがあり、学ぶことも多々。日本語字幕付きもありますので、リクエストしてみてくださいね。

ちなみに博物館の一角には東日本大震災のコーナーもあり、こちらも必見です。津波によって10歳で亡くなった福島県出身の鈴木姫花ちゃんの絵をモチーフにしたハンカチや、「Japan, we are with you(日本、私たちはあなた方とともにあります)」と書かれたポスターが飾られ、私たちの胸に迫ります。日本語の簡単な手引書も借りることができますので、そちらを読んでから館内を見学すると、より理解が深まるでしょう。

鈴木姫花ちゃんの絵をモチーフにしたハンカチ

東日本大震災コーナーに貼られていたポスター

…以上のように、キラウエア火山観光の玄関口としてお馴染みのハワイ島ヒロですが、実は津波、日本人移民の軌跡など私たち日本人にとってさまざまな共通項のある町でもあります。この次のハワイではヒロにゆっくり滞在し、ひと味違ったハワイを体験してみるのもオススメです!

 


\ 残り部数が少なくなってきました。お早めにどうぞ!/

森出じゅん/JUN MORIDE プロフィール

オアフ島ホノルル在住。横浜出身。青山学院大学法学部卒業後、新聞・雑誌・広告のライターとして活動。1990年、ハワイ移住。フリーランスのジャーナリストとして活動するかたわら、ハワイの文化や歴史、神話・伝説、民間伝承を研究中。単に「美しいハワイ」にとどまらないハワイの奥深い魅力、真の姿を日本に発信すべく、執筆を続ける。2012年からハワイ州観光局の文化啓蒙プログラム「アロハプログラム」講師。著書に「ミステリアスハワイ」(ソニーマガジンズ刊)、「ハワイの不思議なお話」(文踊社刊)、「やさしくひも解くハワイ神話」(フィルムアート社)、「Hawaii 神秘の物語と楽園の絶景ーハワイの人々が愛する100の神話」(パイインターナショナル刊)がある。

☆ブログ「森出じゅんのハワイ生活」>>

☆ハワイ州観光局アロハプログラム>>

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