
国王ゆかりの憩いのスポット、カピオラニ公園
ハワイの歴史・文化に詳しいライター・森出じゅんさんのコラム第45回。今回はワイキキの人気スポット、カピオラニ公園の意外な過去についてお届けします。
更新日:2025.06.30
ハワイを代表する公園は
カラカウア王の所有地に造られたALOHA! ホノルル在住の森出じゅんです。
ハワイ文化に焦点を当て、ちょっと意外なハワイの横顔を紹介するこのコラム。今回はワイキキの人気スポット、カピオラニ公園の意外な過去についてお届けしましょう。ワイキキに滞在したことのある人ならきっと、カピオラニ公園を歩いたことがあるのではないでしょうか? ダイヤモンドヘッドの麓に広がるカピオラニ公園の総面積は、約25万坪(200エーカー)。週末にはスポーツイベントも行われ、ワイキキにありながら常に地元の家族連れで賑わっている印象があります。
カピオラニ公園が開園したのは、ハワイ王国時代の1877年。王国3代目の君主、カラカウアの治世でした。雨の少ない地域に、通年楽しめる競馬場が欲しい。ハワイでも競馬が人気を集めていた当時、そんな国民の要望に応える形で、カラカウア王は王家の土地に大々的な公園を設けたのでした。
Photo Courtesy of Hawaii State Archives
カピオラニ公園が完成し、記念式典が開かれたのは同年6月11日(キング・カメハメハデー)。セレモニーでのスピーチで、カラカウア王は1874年~1875年にかけての冬期に米本土を訪問した際、大都市に広大な公園スペースが設けられているのに感銘を受けたこと。欧米にあるようなそういった公園がハワイに造れないはずがないなど、カピオラニ公園造園を考えるに至った背景を説明しています。ちなみに公園名の「カピオラニ」は、もちろんカラカウア王の愛妃、カピオラニ王妃の名を取って付けられています。
公園ゆかりのカラカウア王&カピオラニ王妃(Photo Courtesy of Hawaii State Archives)
もっとも開園当時の公園は、今とは大きく異なっていました。中心になったのは、本格的な競馬場と立派な観客席。また公園の西寄りにはボートの浮かぶ池など、湿地帯を利用した水辺のオアシスのようなセクションが造られ、庶民の憩いの場となっていました。
というのもカピオラニ公園は、からからに乾いた土地と湿地帯が混在する、少々複雑な土地を使って造られていたため。当時は後方にそびえるコオラウ山脈から流れ出る地下水が、ワイキキの各所で噴き出していたのです。その入りくんだ地形をうまく生かし、水路を作り一部を埋め立てることで整え、池や小島をいくつも配置したのですね。
Photo Courtesy of Hawaii State Archives
小島から小島へは木の橋がかけられ、島のうち最大だったマキー・アイランドには、小さなステージまで設置。このマキー…という名は公園運営を担っていたカピオラニ公園協会の初代会長、ジェームズ・マキー(1840年代に捕鯨船船長としてハワイにやって来たアメリカ人。後の実業家)から付けられた名。有名なハワイアンソング「マケエ・アイラナ」の題名は、島の名をそのままハワイ語読みしたものです。愛らしい小島の様子を唄った名曲の内容から知れるように、カピオラニ公園は涼やかな水辺の公園として親しまれていたのでした。
マキー・アイランド(Photo Courtesy of Hawaii State Archives)
…つくづく考えるに、1920年代にアラワイ運河ができたことでワイキキから湿地帯が消えた際、公園の水路や小さな島々も同時に一掃されたのは残念なこと。マキー・アイランド跡には今、ホノルル動物園が建っています。
カラカウア王の
目指した理念とは?さて、以上のような公園の設計を担当したのが、カラカウア王の義弟だったアーチボールド・クレッグホーンでした。スコットランド出身のクレッグホーンは、カラカウア王の妹、リケリケ王女の夫にして実業家。同時に政府の要職を歴任していましたが、造園家だった父の血を色濃く引き継ぎ、造園の才で知られたマルチタレントな人でもありました。第24回で紹介したホノルル・ダウンタウン近くの緑の公園、トーマス・スクエアも、このクレッグホーンが手がけています。
クレッグホーンはカラカウア王の依頼を受けて、カピオラニ公園にアイアンウッドや椰子の木、モンキーポッドなど、実に1万本の木を植えたとか。その半数が、ハワイでは防風の目的でよく植えられるアイアンウッドでした。カピオラニ公園を貫くカラカウア通りの両側には、今もその名残のアイアンウッドの並木が残っています。
公園ではまた美しい孔雀や白鳥、キジ鳩、ダチョウなどが飼われていた時代も。まさにカラカウア王が目指した都会のオアシス、そして競馬場を中心とした大人の社交場が、当時のカピオラニ公園だったといえるでしょう。
…話は横に逸れますが、実は上記のような「カラカウア王の理念の結実=カピオラニ公園」という一般論に異論を唱える人々もいます。公園の計画が持ち上がった当時、造園と運営を託されたカピオラニ公園協会が、一口$50で海沿いの公園の土地を売りだし造園資金に充てたからです。
実際にかつて海辺にはコテージが建てられ、公園の設置は庶民のためというより、富裕層向けのリゾート開発だった…と考える人も。ですがカピオラニ公園が庶民の憩いの場として賑わった事実は、19世紀の昔も今も変わりません。異論はあるにせよ、「ハワイにも欧米のような公園を」と考えたカラカウア王の理念がカピオラニ公園として花開いた、と私は考えています。
なお公園は1913年よりホノルル市の管轄となり、1915年にはホノルル動物園が、1954年にはコンサート施設であるワイキキシェルがオープン。ますます賑わいを見せるカピオラニ公園で、皆さんもぜひ朝夕のウォーキングなど楽しんでみてください! その際には、カラカウア王の愛したカピオラニ王妃の銅像を詣でるのも、どうぞ忘れずに…。銅像は公園の入口&カラカウア通りの比較的近くに、静かに佇んでいます。
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森出じゅん/JUN MORIDE プロフィール
- オアフ島ホノルル在住。横浜出身。青山学院大学法学部卒業後、新聞・雑誌・広告のライターとして活動。1990年、ハワイ移住。フリーランスのジャーナリストとして活動するかたわら、ハワイの文化や歴史、神話・伝説、民間伝承を研究中。単に「美しいハワイ」にとどまらないハワイの奥深い魅力、真の姿を日本に発信すべく、執筆を続ける。2012年からハワイ州観光局の文化啓蒙プログラム「アロハプログラム」講師。著書に「ミステリアスハワイ」(ソニーマガジンズ刊)、「ハワイの不思議なお話」(文踊社刊)、「やさしくひも解くハワイ神話」(フィルムアート社)、「Hawaii 神秘の物語と楽園の絶景ーハワイの人々が愛する100の神話」(パイインターナショナル刊)がある。
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