ハワイ王国の忘れ形見、イオラニ宮殿

ハワイ王国の忘れ形見、イオラニ宮殿

ハワイの歴史・文化に詳しいライター・森出じゅんさんのコラム第17回。今回はオアフ島ダウンタウンにあるイオラニ宮殿にまつわるお話です。

公開日:2020.08.19

更新日:2020.08.31

森出じゅんのハワイ歴史&神話散歩

アメリカで唯一の公式の王宮&
カラカウア王の夢の跡

ALOHA! ホノルル在住の森出じゅんです。

ハワイ文化に焦点を当て、ちょっと意外なハワイの横顔を紹介するこのコラム。今回は、我が家から歩いて15分のイオラニ宮殿をご紹介します。イオラニ宮殿はハワイ王国時代の宮殿にして、現在は博物館。実はこのパンデミック騒ぎまで、ボランティアをしていた愛すべき旧跡でもあります。世界に王宮は数ありますが、ハワイ好きの皆さんにとってイオラニ宮殿は別格! それはなぜか…。以下、お話ししていきますね。

 

まず基礎知識ですが、イオラニ宮殿が建てられたのは1882年。日本では明治15年にあたるこの年、ハワイ王国7代目君主のカラカウア王によって建てられたものです。常に世界に目を向けていたカラカウア王が、世界に誇れる宮殿を目指して建てただけあり、内部はシックながらそれは豪華。

私は週に一度、日本語ツアーのボランティアガイドをしていたのですが、その際お客様からよく聞いたのは「外観より内部の方が素敵ですね」という言葉でした。1階は王国の公式行事の場として正餐の間や王座の間などがあり、2階は王族のプライベート空間。王や王妃の寝室などがあります。

 

王族が上り下りしたコアの階段(Photo Courtesy of the Friend of Iolani Palace)

王座の間(Photo Courtesy of the Friend of Iolani Palace)

宮殿を建てたカラカウア王という方は、とにかく先取りの精神に溢れた方でした。宮殿は美しいだけでなく今でいうハイテクで、下水道完備。2階の各寝室には大きなバスタブがあり、王族方は熱いお湯にゆったり浸かることができました。しかも完成から5年後の1887年には、電灯まで。

明治時代といえば、世界的にまだまだガス灯の時代です。ようやく、世界のごく一部で電灯が灯り始めた頃で、日本の皇居やイギリスのバッキンガム宮殿にも、同じ年に電灯が灯っています。太平洋の真ん中に浮かぶハワイで、そういった主だった国々の宮殿と前後して電気が灯ったというのは、驚くべきことではないでしょうか? ちなみに、あのホワイトハウスに電灯が灯るのは、さらに数年後のことでした。

 

王朝転覆後は政庁に。
現在は博物館として公開中

…と、ハワイが誇るイオラニ宮殿だったのですが、王宮としての使命はわずか11年間で終わっています。カラカウア王亡き後、跡を継いだリリウオカラニ女王が、1893年、白人勢力によるクーデターで退位。ハワイ王国が崩壊したからです。クーデターの後には臨時政府が樹立され、イオラニ宮殿はその政庁に。宮殿の調度品は売り払われ、一時、宮殿は空っぽになってしまったのでした。

宮殿の門にはハワイ王国の美しい紋章が飾られている

その翌年、ハワイは共和国になり、さらにアメリカの準州時代を経てアメリカ50番目の州になったのは1959年。楽園ハワイを取り巻く政治体制は刻々と変わり、その都度、宮殿は政庁として使われてきました。国王の公宮から一転、公務員さんの仕事場になってしまったわけですね。

その後、イオラニ宮殿が政庁としての役目を終えたのは、1960年代のこと。イオラニ宮殿の山側に立派な州政庁が新築されたのをきっかけに、イオラニ宮殿を王国時代の様相に整え、博物館として公開することになりました。調度品は世界中に散っていましたがスタッフの方々が行方を探し回り、今では約6割が戻ってきています。遠くはヨーロッパやアメリカ本土からも見つかっていますが、多くはハワイの人々の家でお宝として守られてきた調度品が、続々と返還されてきたものとか。

…こんな話を聞くと、イオラニ宮殿がハワイの人々にとってどれほど重要かが、身に染みて感じられますね。博物館として蘇ったイオラニ宮殿には、王族だけではなく、ハワイの人々の想いがたっぷり籠っているといえるでしょう。ちなみに王国時代の調度品は、今なお、少しづつ現在進行形で戻ってきています。

今も毎年、ハワイ王国が倒れた1月17日には人々が集まり、王国を悼む

悲しい記憶が残る?
女王幽閉の間

最後に、イオラニ宮殿のなかでも悲劇のハワイ史にひときわ関係が深い部屋をご紹介しましょう。「女王幽閉の部屋」と呼ばれる部屋がそれ。この部屋は、文字通りリリウオカラニ女王が、約8カ月間にわたり幽閉生活を送った悲しい部屋。王朝転覆から2年後、女王の前警備隊長を中心にクーデターが計画された際(未遂で終わっています)、ほかの350人と一緒に逮捕されたリリウオカラニ女王。女王には全く身に覚えのない嫌疑でしたが、女王は裁判で有罪判決を受け、この部屋で一人の侍女とともに幽閉生活を送ることになったのです。

正面から見て2階右側が女王の幽閉されていた部屋(注:窓の白い覆いは今は外されている)

その間、女王は外部からの訪問客とも一切接触できず、聖書を読んだり作曲したり。そのうち、キルト作りに取りかかりました。大きなキルトですが、実際に女王の手によるのは中央部分。残りは釈放後に友人らが手伝って仕上げたものですが、女王の手がけた部分には意味深い日付けや人の名などが刺繍されています。王座に就いた日など人生の誉れの日、反対に退位した日、宮殿に幽閉された日など、人生の嘆きの日などがその一例です。そのキルトは今、しっかり温度計付きのケースに守られ、女王幽閉の部屋に展示されています。

…そういえば日本語ツアーのお手伝いをしていた頃、この部屋では皆さん感情的になるようで、泣き出す方がいました。中には号泣する方も。もしかしたらこの部屋にはまだ、女王の当時の悲しい記憶が残っているのかもしれません。

リリウオカラニ女王が幽閉されていた部屋&キルト(Photo Courtesy of the Friend of Iolani Palace)

イオラニ宮殿は現在、木曜から土曜日までの週3日間、短縮時間で公開中です。金・土曜はオーディオツアーのみ。木曜はガイドツアーですが、今のところは英語ツアーだけ実施中です。日本語ツアーが再開されるのはまだ先になりそうですが、再開された暁きには、水曜日が私の担当でございます。ぜひいらしてくださいね!

さて、最後に一つ、嬉しいお知らせがあります。9月19日(土)、新刊「やさしくひも解くハワイ神話」出版を記念し、オンラインにて神話セミナーを開催することになりました!同書の制作秘話&こぼれ話もシェアしますので、ご参加をお待ちしていますー。詳細は以下のリンクからどうぞ。

※こちらのセミナーは中止になりました。(8月31日現在)

森出じゅん/JUN MORIDE プロフィール

オアフ島ホノルル在住。横浜出身。青山学院大学法学部卒業後、新聞・雑誌・広告のライターとして活動。1990年、ハワイ移住。フリーランスのジャーナリストとして活動するかたわら、ハワイの文化や歴史、神話・伝説、民間伝承を研究中。単に「美しいハワイ」にとどまらないハワイの奥深い魅力、真の姿を日本に発信すべく、執筆を続ける。2012年からハワイ州観光局の文化啓蒙プログラム「アロハプログラム」講師。著書に「ミステリアスハワイ」(ソニーマガジンズ刊)、「ハワイの不思議なお話」(文踊社刊)、「やさしくひも解くハワイ神話」(フィルムアート社)、「Hawaii 神秘の物語と楽園の絶景ーハワイの人々が愛する100の神話」(パイインターナショナル刊)がある。

☆ブログ「森出じゅんのハワイ生活」>>

☆ハワイ州観光局アロハプログラム>>

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