負のことは考えすぎず、前に進むことが大切。

負のことは考えすぎず、前に進むことが大切。

ハワイのアロハを届けに、宮城県の避難所へ向かったハワイ州観光局のみなさん。代表の一倉さんにお話をうかがいました。

公開日:2011.08.18

更新日:2017.06.14

日本で楽しむハワイ - 特別企画&レポート

 アロハ~! アロハストリート・ジャパンの石井です。
 この特別企画「アロハパワーが日本を元気に!」も今回で最終回となりますが、その最後を飾っていただいたのは、ハワイ州観光局代表の一倉さんです! ハワイ州観光局といえば、日本国内におけるハワイに関する総合的な窓口であり、ハワイのすばらしい魅力をたくさん日本に伝えてくれるところでもあります。日本とハワイの架け橋となる、一倉さんをはじめとしたハワイ州観光局のスタッフのみなさんが、4月に宮城県石巻市と名取市、多賀城市を慰問したときのお話をうかがいにハワイ州観光局に行ってきました。

 日本でも"Aloha for Japan ~アロハを日本へ~"

 「ハワイ州では東日本大震災直後に"Aloha for Japan"というチャリティープログラムが発足しました。ハワイ州知事をはじめ、多くのハワイの有志たちが参加し、今もさまざまな義援活動や支援イベントを日本のためにおこなってくれています」と一倉さんはハワイで発足したプログラムについて話してくれました。このチャリティープログラムを日本国内でも広められたらと、一倉さんは"Aloha for Japan"を"アロハを日本へ"と訳し、日本のさまざまな所で活動を行っています。現時点で600万ドルを超える募金を東日本大震災で被災された方々に寄付されました。ちなみにアロハストリート・ジャパンでもこのチャリティープログラムに賛同し募金活動をおこなっています。

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 大震災から1か月が経っても

 「1度目の慰問は4月16日、17日と宮城県石巻市に向かいました。大震災から1か月が経って高速道路は開通したものの、道路はまだ大震災の爪あとを多く残していました。また仙台空港や石巻市の街は整備されているものの、たくさんのがれきや車が空港の裏や道路脇に山積みになっていました。また、県庁の方たちの案内で泊地区へ移動したんですが、道路がところどころ寸断されていて迂回しながら到着したんです。こんなに大変な移動になるとは想像を超えていました。それで、泊地区の人たちに物資はどうなっているんですかとたずねると、1日に1回自衛隊が届けてくれるのみとの答えが…。みなさんが協力し合い、今を生きていることを知りました。本当にすべてのものが流され、何もない状態を目の前にただただ驚くばかりでした」と、当時の被災地では、おどろく光景が目の前に広がっていたことや、映像ではなく実際に被災地を目にしたときのインパクトのすごさをお話ししてくれた一倉さんでした。

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 被災地はいったい何に困っているのか

 1か月たった被災地では、物資が届いているのに被災者に配られなかったり、同じ物資が必要以上に届けられたりと、現地で混乱が生じているという報道もありました。

 「本当に必要なものを届けることが大切。ハワイの関連企業から物資協力を得て、グァバジュースやハワイウォーター、クッキー、お米やスパム、Tシャツ等を持って被災地に入りました。現地では地元ホテルの協力で、調理の方々が毎日スパムむすびを750個ずつ4日間で合計3,000個つくり、避難所へもっていきました」。ハワイならではの食べ物に、避難所にいるみなさんも、とっても喜んでくれていたそうです。また、こうした協力を得られたことに一倉さんはとても感謝されていました。

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 2度目の被災地入りはハワイのアーティストとともに

 1度目の被災地訪問から約1週間後、今度は同じ宮城県でも都心部に近い名取市と多賀城市を訪れた一倉さん(写真下、左)とハワイ州観光局のみなさん。宮城県庁に表敬訪問し、若生宮城県副知事(写真下、右から3番目)ともお会いし、市内の避難所を訪れました。

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 「前回の石巻市を訪れたときもそうでしたが、体育館や文化センターにそれぞれ500人以上の人が避難し、館内を段ボールで仕切っているとはいえプライバシーはないし、文化センターでは4つのシャワー設備がありましたが、そこにいる方々は4日に1回しか浴びられず、大変な避難生活を余儀なくされていることに胸が痛みました。また、前回同様に避難所の方々が少しでも楽しい思い出ができればと、エンターテイメント性を取り入れ、今回はマノアDMAのロイド(写真上、左から4番目)とニック(写真上、左から3番目)、アリアナ セイユ(写真上、右から2番目)も同行して被災地入りしました。歌やフラを、避難所の方々に楽しんでもらえたんではないかと思います。また、津波で写真やアルバムなどが流されてしまったという人も多かったと思います。だから富士フイルムさんからチェキを6台、フイルムを提供してもらい、マノアDNAとアリアナと避難所の人たちの写真を撮り、少しでも思い出やアルバムの代わりになればと…」。こういった、一倉さんたちの避難所の人たちを想う気持ち、励ましは、きっと避難所の人たちにも伝わったことでしょう。

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 元気な笑顔が印象的でした

 宮城県のさまざまな避難所を訪れた一倉さんたちですが、被災地の人たちが明るく、元気で笑顔があったことに、逆に勇気づけられたそうです。また、一倉さんからは「今回の大震災は忘れてはいけないことですが、いつまでも負のことを考えていても仕方がないので前に進むことが大切だと感じました」という、メッセージをいただきました。また、"Aloha for Japan ~アロハを日本へ~"に賛同してくれた方々が、たくさんいたことにも大変感謝もされていました。

 一倉さんのお話から、辛く悲しいおもいをしながらも、限られた環境のなかで、前を向いて一歩一歩進んでいる被災地のみなさんを知り、本当にたくましく、今を精一杯生きていると感じました。復興への道は、少しずつ前進を始めたところですが、一日でも早く被災地のみなさんが安心した暮らしができるよう、そして、日本に元気と笑顔があふれる日がくることを願っています!

Mahalo!

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