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ハワイ島沖地震・続報 踊り子レストラン手記

ハワイ島沖地震・続報 踊り子レストラン手記

2006.10.25

特別企画&レポート

ハワイ島沖地震 続報
停電当日「レストラン踊子」は旅行者のオアシスに

 オアフ島では旅行者の皆さんに影響するような被害はまったく出ておらず、現在ではどのホテルも「平常通り営業」しています。オアフに限っていえば、今回の地震にまつわる騒動は、そのほとんどが「停電」によるもの。10/17の速報参照
 さて、ABCストアや小さなお店が真っ暗な状態で仮営業をしていたほかは、ホテル内の一部のレストランをのぞいて完全に機能が麻痺していたと聞くワイキキ。その中にあって、旅行者の皆さんのためにと店を開け、おにぎりやお弁当を提供し続けたレストラン「踊子」の店主、武井明子さんが当日の模様をまとめた手記を送ってくださいました。
 あの日、ワイキキはどんなだったのでしょう? 皆さんにもぜひご覧いただきたく、武井さんのご了解を得て、ここに公開させていただきます。
■レストラン「踊子」店主、武井明子さんの手記

 「ハワイ島がフラを踊った」

 ハワイ島がフラを踊った!というTシャツが出ているそうですね。地震で揺れたことを「フラを踊った」なんていうところは、やはりハワイらしいですね。この売り上げ金の一部はハワイ島の復旧費用に寄付されるそうです。やはりアロハの精神が出ています。

 在住35年で初めての地震。(23年ぶり、と報道されていますが、個人的には記憶にありません。)「ハワイでも地震はあったのだ!」というのが、まず驚いたこと。そしていつも災害が少ない所にいると、いかにたくさんの問題が提起されるかということが分かりました。まず、津波がくるから6階以上に上がるようにという情報もあったとか。我々はその頃、ワイキキの店で観光客の方々のお弁当つくりに汗だくになっていました。

 情報があまりなく、日曜日だったせいもあり、日本語放送も私がつけた午前11:00頃は情報がよくとれませんでした。電池でラジオをかけたので、電波がよく出なかったのかもしれませんが……。(編集部注:日本語アナウンサーが英語番組に緊急出演した以外は、日本語放送はありませんでした。)あれで津波でも来ていたら、従業員ともども流されていたかもしれません。

 踊子レストランは、朝6:00〜夜中12:00まで毎日営業しているのですが、あの地震の日、ワイキキのほかのレストランは停電のため皆、閉店。踊子だけが営業を続けたので、お客様が殺到し、てんやわんやとなりました。

 電気はありませんが、ガスでご飯を炊き、とにかくお弁当を作りました。感謝したいのは踊子のスタッフたちです。

「電話が通じないので出てきたけど、やってますか?」と、ほとんどのスタッフが出てきてくれたのです。やはり長く勤めて、踊子の精神を知ってくれているだけある…と感激しました。

 1992年に起きたハリケーン「イニキ」の時も、後から聞くと、ワイキキで1日中開店したのは踊子だけだったとのことでした。観光客の皆さんが食べるものと飲み物を求めて、あちこちウロウロしておられるのだから気の毒です。「とにかく、おにぎりでも何でもいいから売ってください」と困っているのだから、危険だから店を閉めて帰るとは、どうしても言えなかったのです。私たちは、ロウソクの明かりの下で、ひたすらおにぎりを作ったのです。

 あのときの精神を踊子のスタッフは知っているので、ほとんどの人が出てきてくれました。そしてエアコンも電気もない、暗く暑いところで、無数の弁当を作り、困っている皆さんに販売いたしました。皆さん、本当にホッとした顔で「ありがとうございます」と言いながら、お金??を払って行かれるのですが、お金を払っていただいて、お客様からお礼を言われるのもめったにないことですね。


※写真はイメージです。

 とあるホテルのペントハウス40階に泊まってることを自慢していた友人が、フラフラになりながら弁当を買いにきました。その後、再び家族の待つ40階まで階段で上がっていかなくてはならないと聞いて、気が遠くなりましたが、「途中で休み休み行くんだ」などと言いながら戻っていきました。緊急用のエレベーターが動いているホテルもあったようですが、そうではないホテルに宿泊した方々は、皆たいへんな思いをしながら、食事の確保をされたのではないかと思います。

 ご家族15人であの地震の日に結婚式を挙げた方々が、前もって予約をしていた海辺のステキなフランス料理レストランに行ってみると、「今日は停電のために閉店です」と言われてしまったそうです。おじいちゃまや、おばあちゃまを含めて、皆が食べられるところならどこでもと探していたら、旅行会社の方に「踊子ならやっているから、行ってご覧なさい」と言われて、ご来店いただきました。すぐにお座敷にロウソクを灯し、お入りいただきました。「本当に助かりました。ありがとう。開けてて下さってありがとう」と、またもやお礼を重ね重ね言われ、かえって恐縮してしまいました。

 夜になっても、お水やビール、ロウソクなどを求めて来るお客様が後を絶ちませんでした。無我夢中でやっているとき、隣りのシェラトン・プリンセス・カイウラニ・ホテルの方角から、歓声とピーピーという口笛と拍手が聞こえてきました。「あ、電気がついている!」という声が聞こえました。夜の9:30頃のことでした。そして踊子には、10:00頃になってようやくパッと電気がつきました。

 店内に拍手と歓声が上がりました。皆、いかに電気に頼り切って生きてきたかが分かった瞬間でした。エレベーターが動き始めたからか、再び踊子の中にお客様がどっと入って来られました。私たちは、またもやてんやわんや。皆さんお腹がすいても、何10階もの階段を歩いて降りるのがたいへんで、ホテルのルームで待っていらしたようですね。そんな方々が一度に表に来られたので、辺りには人があふれかえりました。

     お客様の中に、韓流俳優のパク・ヨンハさんが監督やスタッフと見えていました。お酒を飲みながらゆっくり食事をしていかれました。あとでその話を聞いた観光客の方々にいろいろと質問されました。停電から解放された後の、なごやかな風景です。

 あとでお客様のお相手をなさった旅行会社さんから伺いましたが、とにかく食べるものと飲むものの確保が一番の問題だったようですね。「踊子に行ってください。開いてますから、とご案内しました。助かりましたよ!」と言っていただきました。

 その日、自分の家のことや家族のこと、ロウソクや電池の買い物よりも、踊子に出てきてくれた多くの従業員に感謝の気持ちで一杯でした。本当にありがとう!「これからも皆で力をあわせて、助け合ってやっていこうね。」長い一日が終わって、夜中2時頃に帰路につき、頭もボーッとしながら思ったことでした。

 観光地として、お客様を「夢の島ハワイ」と言いながらお招きしている限り、災害の時こそ、ホテルで何もなく困っている人たちをヘルプすることが、これから大事なことだとつくづく思いました。二度と来たくない……と思われるより、「あんなに困っていたときでも、ハワイの対応はすばらしかった、あれなら安心して行ける」と思っていただけるようなハワイにしていかなければと思いました。

 今回は大きな災難もなくラッキーでしたが、観光客の方が多いワイキキでは、情報不足と食事については、多大な不便をもたらしました。これからの課題と思いました。

                                   踊子海鮮日本料理店 店主 武井明子

公開日 : 2006年 10月 25日
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