「しろときいろ」実在モデル 縄野由夏さん - エッグスン・シングスに託す二代目オーナーの思い

「しろときいろ」実在モデル 縄野由夏さん - エッグスン・シングスに託す二代目オーナーの思い

女優の川口春奈さん主演のドラマ「しろときいろ」。そのモデルとなったエッグスン・シングスのオーナーにインタビュー! ドラマ制作舞台裏と、経営者としての思いを語っていただきました。

公開日:2018.05.17

更新日:2018.11.07

アロハストリート・インタビュー

※この記事は2018年5月17日に公開された記事です。

アロハ! ヨリエです。

Amazonプライム・ビデオだけで観られるオリジナルドラマ「しろときいろ〜ハワイと私のパケーキ物語〜(公式サイト)」を、ご覧になった方はいますか?

女優の川口春奈さん主演で、ハワイと湘南を舞台に描かれるこのドラマは、「世界で最も有名なパンケーキ屋さんに隠された、ひとりの女子大生と、彼女を支えた家族と仲間達の心温まるサクセスストーリー」。

主役は、実在する人物がモデルになっています。

そのモデルとは、ハワイにあるレストラン「エッグスン・シングス」のオーナーで、日本人女性の縄野由夏さん(以下ユカさん)。ロコの夫婦が1974年に創業したエッグスン・シングスを、2008年に引き継いだ二代目オーナーです。

パンケーキ&朝食で有名なこのお店に、ハワイ好きなら一度は行ったことがあるのでは?

アロハストリートでは約3年前の2015年に、ユカさんにインタビューさせていただきましたが、ドラマの配信でさらなる注目を浴びています。エッグスン・シングスの経営者となり10年の節目を迎える彼女に再会し、ドラマ制作舞台裏と、現在のユカさんが抱く思い、これからの展望など、お話を伺いました。


創業者から経営を引き継いだ経緯は、前回のインタビュー記事をご覧ください。
↓↓↓


エッグスン・シングスの二代目オーナーにインタビュー!

インタビューの内容は大きく下記の3つ。項目をクリックすると、その部分にジャンプします。

 ● ドラマ「しろときいろ」制作舞台裏
 ● 母である30代で、ビジネスを立ち上げる
 ● 経営を引き継ぎ10年……さらなる未来は?

※ ドラマの「ネタバレ」も含まれます

Profile

縄野由夏/Yuka "Lisa" Nawano

「エッグスン・シングス(YNE&T USA LLC, ENT Holdings LLC)」オーナー。神奈川県藤沢市出身。1974年に創業した「エッグスン・シングス」の商標権を、2008年8月に引き継いだ後、サラトガ通り店、サークルホテル店、アラモアナ店を次々と開店し、ビジネスを拡大。現在の店舗は、オアフ島3店舗、グアム1店舗。ライセンス店舗が日本に19店舗とシンガポールに1店舗ある。小学1年から中学1年まで父親の仕事の関係でアメリカ本土に住んだ経験があり、英語が堪能。現在14歳の子どもを持つ母でもある。

ドラマ「しろときいろ」制作舞台裏

──どんなきっかけで、ユカさんを題材にしたドラマの制作が決まったのでしょうか?

最初はアロハストリートのインタビュー記事を見て、「書籍化しませんか」とお声がけいただきました。同時に映画化というお話もあったようなのですが、映画だと約2時間という限られた時間になってしまう。それからお話を重ねていくなかで、連続ドラマが一番合っているのでは、と。連続テレビ小説「ひよっこ」を手掛けた岡田惠和さんを脚本総監修に迎え、朝ドラのような感覚で楽しめるものにしよう、と決まりました。ドラマを観て「1日15分、毎日ポジティブ・チャージを」っていう、制作側の思いが込められているんですよ。

インターネット配信のAmazonプライム・ビデオなら、将来的に日本だけでなく世界各国で観られるようになる可能性があるということで。エッグスン・シングスをより多くの人に知ってもらいたい、という思いがもともとありましたので、よろこんで「お願いします」とお応えしました。

現在は日本でのみ配信されていますが、もうすぐアメリカ版のAmazonプライム・ビデオでも観られるようになります。実際にこの店で働いているスタッフやハワイに住む友人たちもエキストラとして出演していて、みんな楽しみにしているので、早く実現できるといいですね。

──ドラマは実話に基づいたストーリーということですが、脚本ができるまでのプロセスを教えてください。

脚本家の谷口純一郎さんと日本で会い、ハワイに戻ってからも電話で4時間とか、何度もお話をしました。エッグスン・シングスに直接関わる事柄はもちろん、父の転勤でアメリカに住んだことなど、私の幼少期から現在に至るまで、あらゆるお話を時間をかけてしましたね。

ドラマのストーリーは、そのなかにあったエッセンスを組み合わせてできあがったものなんです。フィクションなので、実際に私が経験したこととは異なる部分も多くあります。

たとえば、私がエッグスン・シングスを継いだのは30代後半ですが、ドラマの主人公は大学卒業後すぐに設定されています。ほかには、私は帰国子女だったので、英語に不便はありませんでしたが、ドラマのなかでは言葉の壁を越えようと必死だったり。

それでも、コアな部分は役柄に生かしてもらっているな、って。私自身が大好きなパンケーキをたくさんの人に食べてもらいたい、という思いがそのまま表現されていて、うれしいですね。

ドラマの登場人物は、実際に私がこれまでの人生で出会い、影響を受けた人たちの要素を組み合わせて作られているんです。ドラマを観ていると、私には「あの人とあの人の、あの出来事がこの人物に描かれているんだ」って、分かるんですよ。フィクションなのですが、私の経験が全体に散りばめられている、という感じ。

──なるほど。では、具体的に実話と重なるところ、というと、どんな部分がありますか?

そうですね、とくに父親像。私にとっての父親と、主人公ナミにとっての父親の存在がとてもよく似ているところですね。

私もナミと同じように、若い頃に父親をなくしているんです。私の場合は、私が13歳の頃でした。

ドラマではナミのお父さんが、ナミのためによくパンケーキを作ってくれるという設定で、これがストーリーのキーとなる事柄なんです。実際に私の父がパンケーキを作ってくれていたわけじゃありませんが、それでも、私にとって父と一緒に食べたパンケーキや朝ごはんは、特別なもので。

父の仕事の関係でデトロイトに住んでいた頃、日曜の朝といえば、ダイナーに行ったり、家のホットプレートでパンケーキを焼いたりしていたんですよ。


私にとってのパンケーキや卵料理って、家族そろっていた頃の、本当に幸せだった時を思い出させるものなんです。

だから、エッグスン・シングスにお客さんとしてはじめて訪れたときも、あの頃の気持ちが蘇って…… 味はもちろん好きなのですが、周りのみんながうれしそうに、楽しく食事している雰囲気も大好きで。「このお店をもっと多くの人に広めたい!」って強く思いました。

ドラマのなかでナミが父との思い出のパンケーキに夢を見出し、励まされながら奮闘する姿が描かれていますが、私も同じ。「もし父がいまの私を見たら、どう思うだろう?」と。父の存在がいつも心の支えとなり、励まされています。


ドラマの撮影現場はこんな様子↓


母である30代で、ビジネスを立ち上げる

──ユカさんに、女性の経営者としてのお気持ちを伺いたいのですが。小さなお子様を育てながらエッグスン・シングスを引き継いだ時は、どんな心境だったのでしょうか?

当時はまだ結婚していたんですけれども。エッグスン・シングスをハワイで引き継ぐと決め、日本でいろいろと準備を進めるさなか元夫が体調を崩し、自分が大黒柱にならざるを得ない状況になったんですね。

ただでさえ大きな挑戦だったのですが、失敗が許されない舞台に立たされたわけです。

ビジネスの準備を手伝っていただいていた弁護士には、


「本当にやるんですか? いまだったら引き下がれる」

と、言われました。たくさんの起業家の事情を知るその弁護士は、正直、大半の経営者は社内や社外で毅然としていても、本当はキツイとこぼしている、と。

「経営者は、孤独。なぜその茨の道を行くんですか? 縄野さんなら、日本でもそこそこ稼げます。経営者になるって、あなたにすべての責任がかかるということですよ」って。

「じゃあ私は、その茨の道を行きます」と、迷わず答えたんですけど。潔く言ったものの、やっぱり本当に大変なことばかりでしたね。

でもその時点ではすでに、スタッフもみんなハワイで待っていたし、何より創業者のジャンに「成功します」と約束していましたし。絶対に撤退はできない状況だったので。どんなことがあっても、やり遂げなくてはならないという思いしかありませんでした。

出店準備が始まった時、息子は4歳だったのですが、一時的に私の母に預け、日本で待ってもらうことにしました。可愛い盛りで、毎日の成長が見られないのは、とてもつらくて。でも、だからこそ、必ず成し遂げなくてはいけませんでした。とにかく大事な人たちを裏切るわけにはいかない、と。必死でしたね。

母から聞いた話だと、息子が泣いて母を困らせることは一切なかったそうで。幼いなりに応援してくれていたのだと思います。その存在がチカラになり、私もがんばれる、という感じです。

ハワイから一時日本に戻り、保育園へ迎えに行った時のことは忘れません。私に気がつくなり遊んでいたおもちゃを放り投げ、「ママー!」って、泣きながら駆け寄ってきたんです。周りのお友だちは息子に「ママなの? ママが来てくれて良かったね!」って声をかけてくれていましたね。その時、「ああ、本当に寂しい思いをさせていたんだな」って……

その息子も、エッグスン・シングスが大好きなんですよ。はじめて口にした固形物がエッグスン・シングスのパンケーキ、というくらい(笑)。今回、ドラマの主演が川口春奈さんになったと聞いた時は、息子の方がとても喜んでくれて、うれしかったですね。

あの時、仕事に集中する環境を持てたのは、恵まれていました。そうでなかったら、とてもじゃないけど…… 協力してくれた母と息子には心から感謝しています。

──それは相当な覚悟でしたよね…… 新境地を切り開くとき、母親であることや家族の存在が大きなチカラになったんですね。

そうですね。

……父が亡くなったとき、住職が私の母に向けて言った言葉が、いまでも心に残っています。


「女は弱し、しかし母親は強し」

これは母に向けて言った言葉なのですが、子どもだった私の胸にも刺さって。

父の葬儀をお願いしたお寺は母子家庭の支援にも力を入れていて、住職がおっしゃったんです。

「法要を行うにもお金がかかります。ここでは母子家庭の方々のために毎年合同法要を行っていますので、みなさんもどうぞご理解ください。故人は私と同年代で、私にも同じ年頃の子どもたちがおりますので、お父様のお気持ちが痛いほど分かります。

父親なら、自分のために法要などでお金を使うより、その分娘に新しいワンピースの一枚でも買ってやってほしいと思うに決まっている」と。

その頃から、父にとって自慢の娘でありたい、という思いが常に心にあるんですよね。

また、母親になったいま、住職の言葉の意味がよく分かります。

くじけそうになると、「私は母親だから」って、頑張れる。
息子の母親であるとともに、エッグスン・シングスも我が子のようなものですから。


母から聞かされたのですが、父はどうやら若い頃、外交官に憧れていたようです。

そんな父の姿をそばで見ていた母は、父が亡くなり、日本に帰ってからも、私が覚えた英語を忘れないように環境を作ってくれて。

英語は父から残された大切な遺産だと思っています。

母が、娘がやると言ったことを最後まで協力したいという気持ちでやってくれたこと。本当に感謝しています。



創業者ジェリー&ジャン夫妻がエッグスン・シングスを営んでいた時代。釣り好きのジェリーは、レストランから氷を調達しては海に出て、アヒ(マグロ)やオノ(オキサワラ)、カジキなどを持ち帰ったそう。釣った魚はフレッシュなまま、お客さんへ提供されていました。その頃から変わらないメニューが現在も提供され、変わらずに勤務するスタッフもいます。
↓↓↓

──経営を引き継いだ際、従業員はそのまま雇うことも条件だった、とお聞きしましたが。ベテランのスタッフは、自分よりずっと若く、しかも女性で飲食店での経験もないユカさんがオーナーとなり、戸惑うこともあったのではないでしょうか? そんな状況で従業員に接する際の心構えなどがあれば、教えてください。


スタッフに言ったのは、「いままで通りに、何も変えないで」と、ひとこと。

みんなが慕っていた創業者のジェリーとジャン夫妻が退き、新しく入った私がいろいろと変えようとしたら、大きな反発もあったと思います。でも、私の場合は、彼らが築き上げた素晴らしいレストランがすでにありましたので。

「私が好きなエッグスン・シングスをそのまま続け、これからもたくさんの人に届けたい。そのためには、あなたたちの協力が必要」と伝えました。昔から働いているスタッフに話を聞きながら、古いメニューをリバイバルさせたりもしています。

あと、これは心構えとは違いますが、最初は自分がオーナーであることは、なるべく言わなかったんです。もちろん管理職の従業員や、主要な取引先は知っていましたけど。新しいスタッフは、私のことをPRのユカ、という感じに思っていたかもしれません。

なぜ公にしなかったかというと、地元に根付いた昔ながらのお店が日本人の経営者に変わった、ということが、先入観でマイナスなイメージになってしまうかもしれない、ということと。果たして私がオーナーだと言えるほど、何かしたかっていう思いがあって。


成功するっていうのは、安定した状態が続いてからだと思うんです。

以前よりお客さんが増えて、拡大できた状態が続かないと。それまでは、私がオーナーとか社長とか言うのはおごっている。それを言うのは筋違いなんじゃないかって。だからはじめの数年は、自分の存在を公にしませんでした。

──たしかに。オーナーがユカさんに代わり移転オープンした時、お店のオープンは脚光を浴びましたが、オーナーが代わったことを知る人は、地元でも少なかったですよねあれから約10年間、繁栄するビジネスの裏で、失敗したことなどがあれば、それも教えていただけませんか?

ドラマにもありますが、お店のオープン初日に遅刻したというのは本当の話なんですよ。前日のギリギリまでとにかく忙しかったのと、内心は、ひとりもお客さんが来なかったらどうしようと不安で、なかなか寝付けなくて。スタッフには、明日お客さんがたくさん来るよ、なんて言ってましたけど(笑)。お店に着いて、並んでくれているお客さんを見た時は涙がこみ上げましたね。

オープンしてすぐは、経営者としてスタッフにどこまで言うべきか、言わないべきか、さじ加減が分からずに戸惑うこともありました。

細かいことを「これやってくれてる?」と、スタッフに聞いたことがあったんですよ。そうしたら、その後、「ちょうどいまやろうと思っていたのに」と別のスタッフに言っていたらしくて。そういうことがあってからは、そうだね、分かってるよねって。とりあえず、一回やると決めたことはやるだろうと、信じることにしました。

時には、「なんでこういうことをしちゃったの!?」、と思うことも起こります。でもそこで「だから言ったでしょ」とは言いません。みんな、言わなくても分かっているから。自分で学んでくれればそれでいい。

いまはマイクロマネージメントはせず、現場は任せています。もちろん経営に関わる大きなことは私がやりますが。そうじゃないと、自分がほかのことをできませんから。その分いまは、ほかに貢献する時間として使いたいんです。

ほかの企業の社長に「自分が現場にいないと回らない。どうやったら現場を任せられるのか」と聞かれることもありますが。


自分が信用しないと、信用してもらえない。

従業員と雇用主だけでなく、子育てでもなんでも、どんな人間関係にも通じますよね。

経営を引き継ぎ10年……さらなる未来は?

──エッグスン・シングスは、ユカさんが経営者となってから2018年8月で10周年を迎えます。いま考えているお店のこれからと、ユカさんの意気込みを聞かせてください。

今年の6月か7月、オアフ島の4号店がコオリナにオープン予定です。今回の4号店は、私にとってちょっと特別なんですよ。

これまでの3店舗(ワイキキ2店舗、アラモアナ1店舗)は、1店舗目をオープンする前から考えていたロケーションなんですね。

2号店のサークルホテル店は、こんな場所にエッグスン・シングスがあったらいいなあ、と、一番最初に思っていた場所なのですが、その時はほかのお店が入っていて叶わず。でもいずれその場所でオープンしたいから、そこから同じワイキキ内で、かつ十分に距離が離れていてスペースがちょうどいいロケーションを探しました。それで目についたのが、サラトガ通り店なんです。まずはサラトガ通りに開け、その後タイミングよくサークルホテル内のスポットにも空きが出て、念願の出店を果たすことができました。でも、ワイキキでは駐車場が不便なので。地元の人たちに来てもらうには、いつかワイキキ以外の駐車場があるところでやりたかったんです。それがアラモアナ店なんですよ。

一方でコオリナのロケーションは、私のプランには全くありませんでした。

じつは以前から「ここにエッグスン・シングスを出店してもらいたい」というオファーを何度かいただいていたのですが。まずは自分が目をつけた3店舗に集中したいという理由で、断っていたんです。

3店舗が順調に稼働し、そろそろほかに目を向けようかというタイミングでまた連絡をいただいて。コオリナのその場所も、たしかに魅力的だと思えるタイミングでした。

後になって気がついたのですが、出店のオファーをくれたエージェントの方は、6年も前から声を掛け続けてくれたんですよね。何度お断りしても、こまめに連絡をくださっていたので、今回の4号店オープンにつながりました。


本当に何かを成し遂げたければ、諦めないこと。

これは、私の経験で学んだことで、何をするにも思うことです。

物事って状況が変わることで結果が変わることもあるから、ギブアップしないことって重要ですよね。

これからも、エッグスン・シングスに縁を感じられる場所なら、新しいお店をオープンすることを考えていきたいと思っています。グアムの店舗を入れると、直営店が5店舗になるので、少なくともあと1店舗は必ずどこかに開けます。私がオーナーになった時、古株のスタッフに言ってたみたいなんですよね。「6店舗はやるよ」って。約束しちゃったみたいなので、半ダースはやらないと(笑)。

あとは、今後はこれまでの経験を、とくに若い世代の女性たちとシェアして、一人でも多くの方に少しでも何らかの力になるような活動をしていきたいと思っています。一方的な講演というより、お互いに意見交換できるような場を持てたらいいな、と。そのためには、自分自身もさらに切磋琢磨しながら、いろいろな経験を積んでいかないとなって、思っています。



ユカさんが経営するエッグスン・シングスの現在。一枚目の写真は、1974年から勤務する創業者ジェリーの愛弟子のシェフであり、お店で一番古株従業員、トムが「Hawaii Restaurant Association」から「Best Employee Award」に選ばれた時の表彰式にて。自分が表彰したときより「100倍うれしいかったです!」と、ユカさんは語ります。
↓↓↓


ドラマ「しろときいろ」はこちらでチェック!

ドラマは2018年2月28日より配信がスタートし、全25話(1話/15分)、すべて公開されました。インターネット配信で、いつでもどこでも好きな時に視聴可能なので、まだの方はぜひ。


インタビューを終えて



約10年前。

現在の自分とさほど年齢が変わらない当時のユカさんが、どんな思いで新たなステージへ挑んだのか…… 想像し、お話を聞きながら涙が出ました。

その時のユカさんが持っていた勇気と覚悟に、10年経ったいま、こうして励まされるとは。

インタビュー当日は、エッグスン・シングスの卵料理をイメージしたという、黄色のトップスを身に着けてきてくれたユカさん。女性らしい包み込むようなやさしさと、凛とした強さが織り交ざった雰囲気が印象的です。

まっすぐな眼差しの彼女から発せられた意志の強い言葉の数々は、3年前にインタビューした時と少しのブレもありませんでした。落ち着いた声のトーンで毅然と受け答えする様子を見ながら、ユカさんのすごさは、一朝一夕に培ったものではないんだな、と。当たり前ですが、つくづく感じました。

この先、さらなる10年。エッグスン・シングスを牽引するユカさんが、どんな道を切り開いていくのか。楽しみです!

エッグスン・シングス

<サラトガ通り本店>

住所
339 Saratoga Rd, Honolulu, HI 96815

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電話番号
808-923-3447

<ワイキキビーチ エグスプレス店>

住所
2464 Kalakaua Ave, サークルホテル1階, Honolulu, HI 96815

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電話番号
808-926-3347

<アラモアナ店>

住所
451 Piikoi St, Honolulu, HI 96814

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電話番号
808-538-3447

<コオリナ店>

住所
92-1047 Olani Street, ディズニーアウラニホテル向かい コオリナセンター内, Kapolei, HI. 96707

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電話番号
808-312-3447
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