第58回 現存するハワイ最古の日本語学校「マノア日本語学校」
マノア日本語学校は、1910年11月3日、おきむらこきち氏により設立され、12人の生徒に日本語を教えることから始まった。
当時ハワイはまだハワイ統治領で、ハワイ大学は創立3年目、マッキンレー高校は創立2年目を迎えたばかりで、ハワイの人口は19万人だった。
マノア日本語学校の敷地は、1929年3月にリリウオカラニ財団から購入し、同年校庭に松の木が植樹されたが、その松の木は現在でも2つの校舎の間に立っている。
1941年、第二次世界大戦勃発によりマノア日本語学校は閉鎖された。学校の5人の理事らは、政府から学校の引き渡しを強く要請され、度重なる圧力をかけられたが、確固に守り続けた。しかし、校舎は終戦の1945年まで政府の管轄下に置かれた。
多くの日本語学校は、第二次世界大戦中に学校の敷地を失ったが、現在マノア日本語学校があるのは、理事らが確固たる信念で学校を守り通したからである。
1948年5月、マノア日本語学校は、250人の生徒と共に再開した。1955年にはマノア小学校の建物を1,000ドルで買い、現在の場所に移築するのに6,000ドルかかった。また、同年校舎の裏にあった家を買い、校長の官舎にした。
1959年、ハワイがアメリカの50番目の州になった翌年、マノア日本語学校は50周年を迎えた。1962年、新校舎が設立されたが、松の記念樹は古い校舎の象徴としてそのまま残された。
最近では、マノア小学校とノエラニ小学校の生徒が放課後、安全にマノア日本語学校に通えるように、スタッフが両小学校まで生徒を迎えに行き、引率している。
学校では、日本語の授業が行われている他、校舎を利用してバレー、柔道、公文、ピアノの教室も開催されている。また、毎年、新年会、話し方会、運動会などの行事が行われるほか、毎年生徒たちがマノア・クリスマス・パレードに参列している。
現在生徒数は140人。オアフ島最大の日本語学校である。
西川幸夫 プロフィール
1939年生まれ、1961~1994年、新日本製鉄に勤務。北九州や欧州の風景をスケッチ・淡彩画で製作。
北九州でスケッチ・淡彩画教室「四季彩」を主宰。郵便局の官製はがき9シリーズでもおなじみ。他に「ふるさと12景」のカレンダー画をはじめ、書籍の表紙画や挿絵を手がけその仕事は広範囲にわたる。
現在、山口新聞に「長門101景」、ハワイのローカル情報誌イースト・ウェストジャーナルに「ホノルル点描101景」、佐賀市「市報さが」に[思いでの風景]を連載中。
著書に画集「北九州101景」、画集「寅さんが旅した風景」、画集「延岡やすらぎ101景」がある。
2008年6月出版予定の画集「新北九州101景」、2009年秋出版予定の松本清張生誕100年祭 画集「清張紀行101景」(仮称)を目指し取組み中。