第66回 ワイキキの街角で必ず見かける「ABCストア」
「ABCストア」は、日系二世のシドニー・コササ氏が、1964年、ワイキキのカラカウア通りに第1号店をオープンしたのが始まり。(2138 Kalakaua Ave. ANAビルの前に現存)
コササ氏は、1919年パロロ・ヴァレーに生まれ、幼少の頃からカイムキ10番街の両親の食料雑貨店を手伝っていた。マッキンレー高校卒業後、カリフォルニア大学バークレー校で薬剤師の学位を修得した。
薬剤師になるつもりだったが、第二次世界大戦が勃発し、カリフォルニア北部にあるトゥレ・レーク強制収容所に収容された。ここで奥さんのミニーさんと出会い、結婚した。
1949年、コササ夫妻は、カイムキに「スリフティ・ドラッグス」という名前の小さなコンビニエンスストア兼薬局をオープン。順調に売上を伸ばし、その後の10年間で4店舗のチェーン店となった。
コササ氏は、フロリダのマイアミビーチに出張した際、観光客がホテルの店より、地元の人が利用する雑貨屋で買物をしていることに注目した。将来ワイキキにも沢山の観光客が訪れることを見通し、観光客がホテルから歩いて行ける距離にある安価な雑貨屋の構想を思い付いた。
コササ氏は、「スリフティ・ドラッグス」の経験を元に、食料雑貨、お土産、絵葉書、薬、化粧品、衣類、アクセサリー、日用品、新聞雑誌、酒類など、観光客が求めるありとあらゆるモノを揃えた「ABCストア」をオープンした。
7店舗にまで拡張した「スリフティ・ドラッグス」は、他のドラッグストアとの激しい競争で閉鎖に追いやられたが、「ABCストア」は急成長した。
現在、ハワイに60店(内オアフ島には42店)、グアム・サイパンに10店、ラスベガスに6店、合計80店舗ある。全店年中無休で、早朝から深夜まで営業している。
シドニー・コササ氏は、従業員を大切にすることでも知られ、従業員も家族の一員と考え、社員を「ABCオハナ」や「アソシエーツ(仲間)」と呼び、社員をクビにしないことを誇りにしていた。
コササ氏は、2006年11月に86才で亡くなったが、次男のポールさんが取締役社長として後を継いでいる。現在、総従業員数は、千人余。「ABCストア」は、州のどの店より、マカデミアナッツ、日焼け対策製品、お土産の売上がある。
2006年10月15日、ハワイ島コハラ沖で起きた地震による影響で、オアフ島は、ほぼ一日停電になったが、「ABCストア」は、40店余営業を続け、ロウソクや電池、食料品などを買いに来る観光客や地域住民に対応し、地域に密着した店として再評価された。
上の絵は、クヒオ通りとカネカポレ通り角にある第21号店。
第61回 毎夕、近衛兵交代式が楽しめる「キングスビレッジ」
ワイキキのハイアットリージェンシーホテルの山側にあるキングスビレッジ・ショッピングセンターは、1972年にオープンした。
3階建て、白と青のヨーロッパ風建築のショッピングセンターは、時計台を中心に回廊式に店が並び、店を見ながら階段を使わずに3階まで行けるユニークな造りになっている。入口には、2メートル程の衛兵(キングスガード)の人形があり、ブティックやレストランなど、50店舗以上が入居している。
観光客で賑わうキングスビレッジの一番の目玉は、毎日午後6時から行われる近衛兵交代式。この近衛兵交代式は、かつてイオラニ宮殿で行われていた近衛兵交代式を模したもの。
メリーモナークという愛称で知られたカラカウア王は、ハワイの近代化を目指し、イギリス王室を見本にして、19世紀後半、イオラニ宮殿を建設した。
イオラニ宮殿建設後、王が直々に選んだ50名よりなる近衛兵隊を設け、王や女王、イオラニ宮殿の警備に当らせると共に、イギリスの近衛兵交代式を模した儀式を行っていたが、ハワイ王国が終焉したのを機に近衛兵隊も解散された。
キングスビレッジ・ショッピングセンターのオープンを機に、かつての近衛兵隊を復活させて来訪者に披露することが決まり、現在の近衛兵隊が生まれた。以来、毎夕、正門前で近衛兵交代式が披露されている。
1997年、近衛兵の16個のヘルメットが盗まれたことがある。数日後、ヘルメットの入った2つの箱がセントルイスハイツで見つかり、係員が受取りに行くと、箱には盗まれた16個のヘルメットに加え、1972年頃の初代近衛兵隊のヘルメット1個が入っていたという。
キングスビレッジの1階には、近衛兵博物館(入場無料)があり、かつてのイオラニ宮殿の近衛兵隊の写真やユニフォーム、ライフル、刀、旗などが展示されている。