1. アロハストリートTOP
  2. ホノルル点描
  3. ホノルル点描 「デミアン神父」の像
  1. 文字の大きさ
  2.  
  3. |
  4. |



プロフィール

西川 幸夫
1939 年生まれ、1961~1994年、新日本製鉄に勤務。北九州や欧州の風景をスケッチ・淡彩画で製作。スケッチ・淡彩画教室「四季彩」を主宰。郵便局の官製はがき9シリーズでもおなじみ。他に「ふるさと12景」のカレンダー画をはじめ、書籍の表紙画や挿絵を手がけその仕事は広範囲にわたる。
現在、山口新聞に「長門101景」、ハワイのローカル情報誌イースト・ウェストジャーナルに「ホノルル点描101景」、佐賀市「市報さが」に[思いでの風景]を連載中。著書に画集「北九州101景」、画集「寅さんが旅した風景」、画集「延岡やすらぎ101景」がある。




カレンダー

<< 2009年3月

1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        


カテゴリーから選ぶ

  1. オアフ島
    1. アート
    2. オプショナルツアー
    3. サービス
    4. ショッピング
    5. ビューティー
    6. ホテル
    7. レストラン
    8. 学校、教室
  2. ハワイで暮らす
  3. ハワイ島・ネイバー
  4. 日本で楽しむ



RSS

ホノルル点描 「デミアン神父」の像

2009年03月09日 | オアフ島 ハワイで暮らす 

「ホノルル点描」画:西川幸夫 文章:イースト・ウエスト・ジャーナル永井雄治、榊原百合惠

第76回 ハンセン病患者の精神的支えとなった「デミアン神父」の像

76.jpg
ベレタニア通りのハワイ州庁舎の前にあるデミアン神父像は、1969年4月15日に建立された。

デミアン神父は、ジョセフ・デ・ヴェウスターという名前で、1840年1月3日、ベルギーのトレメロに生まれた。24才の時にカトリック教の神父としてハワイに訪れ、33才からモロカイ島カラウパパにある聖フィロメナ教会の神父になった。

カラウパパは、かつてハンセン病患者の隔離地で、ここに送られて来るのは、治る見込みのないハンセン病患者だけだった。海と崖に閉ざされたカラウパパを離れられるのは、死んだ時しかなかったという。

デミアン神父は、カラウパパに赴任した当初、住む家が無かったため、パンダナスの木の下で寝泊まりして、ハンセン病患者のために尽くした。患者の看病や身の回りの世話をしたり、心のよりどころとなった。また、亡くなった人を埋葬したり、この地に病院や孤児院、教会を建設した。

デミアン神父は、献身的にハンセン病患者と接する内に自分も感染し、1889年4月15日に亡くなった。享年49才。神父の命日にちなみ、4月15日が、ハワイでは「デミアン神父の日」に制定されている。

彼の遺体は、聖フィロメナ教会の横に埋葬されたが、1936年にベルギーに返還された。しかしモロカイ島の人たちの強い要請で、神父の右手だけが聖フィロメナ教会に返還された。

その裏には、デミアン神父は、いつも右手でみんなと握手をしたので、ハンセン病患者らが神父の右手の返還を切に願ったという逸話がある。

デミアン神父の銅像を建立するにあたり、66人の芸術家が制作の申し出をした。その中から7人が選ばれて候補作を創り、その中からニューヨーク市の彫刻家、マリソル・エスコバーさんが選ばれた。

エスコバーさんは、木像と石膏像の2体の銅像を創り、石膏像を鋳造のためにイタリアに送った。しかし、輸送の途中で壊れてしまい、2体目を創って送った。でも、これは途中で紛失してしまい、ロウで創った3体目が鋳造された。

現在、デミアン神父像は、ハンセン病患者の精神的な支えとなっているだけでなく、不治の病であるエイズ患者の心のよりどころにもなっている。

ハンセン病は、今は治る病気になり、世界のどこでも治療を受けられる。しかし、モロカイのカラウパパは、今でも交通の便が限られており、セスナ機で行くか、ラバに乗って行くか、徒歩でしか行けない閉ざされた場所のままになっている。