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プロフィール

西川 幸夫
1939 年生まれ、1961~1994年、新日本製鉄に勤務。北九州や欧州の風景をスケッチ・淡彩画で製作。スケッチ・淡彩画教室「四季彩」を主宰。郵便局の官製はがき9シリーズでもおなじみ。他に「ふるさと12景」のカレンダー画をはじめ、書籍の表紙画や挿絵を手がけその仕事は広範囲にわたる。
現在、山口新聞に「長門101景」、ハワイのローカル情報誌イースト・ウェストジャーナルに「ホノルル点描101景」、佐賀市「市報さが」に[思いでの風景]を連載中。著書に画集「北九州101景」、画集「寅さんが旅した風景」、画集「延岡やすらぎ101景」がある。




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ホノルル点描 幸運の石

2009年01月04日 | オアフ島 

「ホノルル点描」画:西川幸夫 文章:イースト・ウエスト・ジャーナル永井雄治、榊原百合惠

第67回 パール・カントリークラブの「幸運の石」

67.jpg
ホンダの関連会社、本田開発興業が所有経営するオアフ島アイエア地区のパール・カントリークラブ。

このゴルフ場に入ってすぐ右に、パールハーバーを背景に不思議な形をした大きな石が鎮座している。その側にある案内板には次のように記されている。
〈GOOD LUCK ROCK(幸運の石)〉

〈カメハメハ大王が座ったと伝えられるこの石は、当ゴルフコース、3番ホールの池のほとりから発見されました。長い長い年月をかけて山の上から少しずつ落ちてきて、池のくぼみで静止したものと考えられます。形状がいすのように見えることからその昔、大王が、散歩中にこの石に腰をおろし山の上からの眺望を楽しんでいたのではないかと伝えられています。

石質は火山岩、約200万年前にできた玄武岩で、重さは6トンであると、ハワイ大学の地質学者により鑑定されています。ハワイアンの祈祷師によるとこの石は男の石で、この場所に出してもらって大変喜んでいる。そして、右に見える大きなレグミノセイの木が女であることから、恋に落ち、結婚をしたといわれ、また「この2人に傷をつけたり、落書きをしたり、動かしてはならない」ともいわれています。

パール・カントリー・クラブでは、この石を幸運の石と名付け、皆様のご幸運を祈るとともに、この場所へ永久保存することにいたしました〉(1985年1月31日)

この日付当日、本田宗一郎氏出席のもと、荒了寛ハワイ天台宗総長の祈祷により、厳かに鎮座式典が行われた。その直後、本田さんは、カメハメハ大王が座ったと思われる位置にどっかりと座り、にこやかに愛嬌を振りまいていた姿を覚えている地元の人は多い。

本田さんは毎年2月初旬に行われるハワイ・パール・オープンに合わせてハワイを訪れ、元気にプロアマ・トーナメントにも出場していたが、1991年8月に肝不全のため、84歳8か月で死去した。

このパールCCは、1960年代に造られたゴルフ場で、当初は「フランシス・ブラウンGC」と称していた。1972年に東海不動産が買収して、今の名前に変更。4年後の1976年1月に現在の本田開発興業の所有となった。

買収してすぐに本田さんは、「地元密着でやれ。地元の人に喜ばれるコースにして、儲けは従業員が食べられる程度にそこそこでいい」と、尾形次雄・本田開発興業社長に言ったという。

その地元密着の一つのアイディアとして生まれたのがハワイ・パール・オープン。今年2008年で30回となる。この大会から数々のトッププレーヤーが育っている。地元では、デービッド・イシイ、グレゴリー・マイヤー、そして最近ではミッシェル・ウィー、タッド・フジカワなど。日本勢では大町昭義、室田淳、横田真一、横尾要、宮本勝昌、田中秀道、丸山智弘など、多彩な顔ぶれがいる。各選手のその後の活躍ぶりから、この大会はトッププロへの登竜門とも、ラッキートーナメントとも称され、日本でも名高い大会になっている。