第69回 ハワイ大学マノア校の初の校舎「ハワイ・ホール」
マノアにあるハワイ大学マノア校は、1907年に農業機械技術校としてスタートした。校舎はトーマススクエアの東側、現在アカデミーアートセンター・アト・リネコナのある場所にあったが今は取り壊されて無い。学生は5人、講師は12人だった。
1912年に現在のマノアの場所に移転し、かつてキアベの林や養豚場だった所を一掃して、初めての校舎、「ハワイ・ホール」(上の絵・当初はメイン・ホールと呼ばれた)が建設され、カレッジ・オブ・ハワイと改名された。
1920年には、ハワイ大学と改名し、構内にアジア太平洋地域の研究機関の「イースト・ウエスト・センター」の前身の東洋学校が1935年に設立された。
1941年12月7日の真珠湾攻撃の後、大学は2ヵ月間閉鎖されたが、日系の学生たちが「ヴァーシティ・ビクトリー・ボランティア」を結成し、民間防衛の援助をした。このメンバーの多くが、第100大隊の一員となり、第2次世界大戦で活躍して戦果を上げている。
1950年には、ハワイ大学ヒロ校が設立。1964年には、コミュニティ・カレッジ・システムが導入され、ホノルル・コミュニティ・カレッジ、カピオラニ・コミュニティ・カレッジ、カウアイ・コミュニティ・カレッジ、マウイ・コミュニティ・カレッジがハワイ大学組織に加わった。当初「ハワイ大学」と命名されたキャンパスは、「ハワイ大学マノア校」に改名され、1967年にはジョン・A・バーンズ医学校もハワイ大学組織に加わった。
現在は、マノア校、ヒロ校、ウエスト・オアフ校、前記の4コミュニティ・カレッジに加え、ハワイ・コミュニティ・カレッジ、リーワード・コミュニティ・カレッジ、ウィンドワード・コミュニティ・カレッジ、ジョン・A・バーンズ医学校、ウィリアム・リチャードソン法学校を総合してハワイ大学組織と呼んでいる。
ハワイ大学組織では、現在、123の学士課程、93の修士課程、52の博士課程など、合計624の学位を修得出来るコースがあり、大学生、大学院生合わせて5万人余が10のキャンパスで学んでいる。
マノア校最古の校舎「ハワイ・ホール」は、1984年に州の歴史的建造物に指定された。しかし、この校舎にはエアコンが無く、老朽化も進んだため、2001年から1500万ドルを投じて改修工事を行い、外観が元のように修復され、エアコンも付けられた。
ハワイ大学のフットボールチームの「ウォリアーズ」は、大学創立100周年を迎えた昨年、ハワイ大学史上初のシーズン全勝の快挙を成し遂げた。しかし、リーグで優勝した2チームが競う「シュガーボウル」では、ジョージア大学に敗退。
それまで過去9年間「ウォリアーズ」のコーチを務めたジュン・ジョーンズ氏も1973年から74年まで、ハワイ大学に在籍している。また、ハワイの現連邦上院議員、下院議員は、4人ともハワイ大学の卒業生である。