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第63回 アリゾナ記念館と戦艦ミズーリ

2008年12月04日 | オアフ島 オプショナルツアー 

「ホノルル点描」画:西川幸夫 文章:イースト・ウエスト・ジャーナル永井雄治、榊原百合惠

第63回 戦争の悲惨さを後世に伝える慰霊碑「アリゾナ記念館と戦艦ミズーリ」

63.jpg
パールハーバーにある「アリゾナ記念館」は、1941年12月7日の日本軍の真珠湾攻撃により沈没した米海軍の戦艦アリゾナの乗組員1,177人を慰霊するために国定慰霊碑として1962年5月30日に設立された。

戦艦アリゾナは、空母加賀からの攻撃機が投下した爆弾が当たり火災が発生、更に右舷に爆弾が当り弾薬庫が爆発して艦の前方が大破した。

2日間炎上の後、沈んだアリゾナの前部は損傷が酷く、修理は断念されたが、後部の砲塔は無傷だったため、陸揚げされて海軍から陸軍に委譲され、アリゾナ砲台、ペンシルバニア砲台と命名されて、オアフ島要塞の砲台となった。終戦直前にこれらの砲台から試射が行われたが、以後実射されることは一度も無く、終戦後に解体された。

1950年、真珠湾攻撃9周年記念日に記念碑と国旗がアリゾナの残骸の上に掲揚され、1958年に現在の記念館を設立することが決められた。

記念館の建設には、連邦政府や州政府の基金、民間の寄付など、総額50万ドル余を要したが、1961年にエルビス・プレスリーがギャラを取らずに行ったパールハーバーでのコンサートの収益金、約6,500ドルも記念館建設に寄付された。

記念館は、戦艦アリゾナを横切るように設置され、大理石の壁には戦死した乗組員の名前が刻まれている。アリゾナの主砲塔4基の内、3基は取り除かれたが、1基の主砲塔リングは現在も水面下に見える。

戦艦アリゾナには、約530万リットルの燃料が積まれていたが、真珠湾攻撃から66年経った今でも、毎日約2リットルの燃料が漏れ出ており、「黒い涙」と呼ばれている。

アリゾナ記念館と向かい合って係留されているのは、「マイティ・モー」という愛称のある戦艦ミズーリ。戦艦ミズーリは、1954年9月2日、東京湾上で日本の無条件降伏後に調印が行われた歴史的な戦艦。

1994年に退役したミズーリは、この場所に永久係留されることが決まり、1998年6月にホノルルまで曳航された。その後、改装が行われて博物館に再建され、戦艦ミズーリ記念館となった。

毎年、12月7日には、今も戦艦アリゾナと共に眠る乗組員の霊を供養するために、アリゾナ記念館で追悼式が行われている。



西川幸夫 プロフィール

1939年生まれ、1961~1994年、新日本製鉄に勤務。北九州や欧州の風景をスケッチ・淡彩画で製作。
北九州でスケッチ・淡彩画教室「四季彩」を主宰。郵便局の官製はがき9シリーズでもおなじみ。他に「ふるさと12景」のカレンダー画をはじめ、書籍の表紙画や挿絵を手がけその仕事は広範囲にわたる。
現在、山口新聞に「長門101景」、ハワイのローカル情報誌イースト・ウェストジャーナルに「ホノルル点描101景」、佐賀市「市報さが」に[思いでの風景]を連載中。
著書に画集「北九州101景」、画集「寅さんが旅した風景」、画集「延岡やすらぎ101景」がある。
2008年6月出版予定の画集「新北九州101景」、2009年秋出版予定の松本清張生誕100年祭 画集「清張紀行101景」(仮称)を目指し取組み中。