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プロフィール

西川 幸夫
1939 年生まれ、1961~1994年、新日本製鉄に勤務。北九州や欧州の風景をスケッチ・淡彩画で製作。スケッチ・淡彩画教室「四季彩」を主宰。郵便局の官製はがき9シリーズでもおなじみ。他に「ふるさと12景」のカレンダー画をはじめ、書籍の表紙画や挿絵を手がけその仕事は広範囲にわたる。
現在、山口新聞に「長門101景」、ハワイのローカル情報誌イースト・ウェストジャーナルに「ホノルル点描101景」、佐賀市「市報さが」に[思いでの風景]を連載中。著書に画集「北九州101景」、画集「寅さんが旅した風景」、画集「延岡やすらぎ101景」がある。




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ロイヤル・ハワイアン・ホテル

2008年11月27日 | オアフ島 ホテル 

「ホノルル点描」画:西川幸夫 文章:イースト・ウエスト・ジャーナル永井雄治、榊原百合惠

第62回 ピンク・パレスと呼ばれる「ロイヤル・ハワイアン・ホテル」

62.jpg
ワイキキにある「ピンク・パレス/ピンク・レディ」という愛称の「ロイヤル・ハワイアン・ホテル」は、1927年2月1日にオープンした。現存するワイキキのホテルとしては、「モアナ・ホテル(現 モアナ・サーフライダー ウェスティン・リゾート&スパ)」に次ぎ古い。

20世紀初頭、マトソン客船に乗ってハワイに訪れる人が増えるに連れ、客船と同様の一流サービスが当地でも求められ、マトソン社は「ロイヤル・ハワイアン・ホテル」の建設を決めた。

1920年頃は、「モアナ・ホテル」のようなビクトリア様式の建築に人気があったが、「ロイヤル・ハワイアン・ホテル」は、厚いしっくい壁の地中海様式のデザインが選ばれた。建設費には400万ドルが投じられ、当時、太平洋最大の建設計画として注目を浴びた。

建設には約1年半かかり、数千個の砂岩の石塊、35,000バレルのセメント、75マイルの鉄線、50トンのしっくい、9,000ガロンのペンキなどが用いられた。

オープニング・セレモニーは、当時のファリントン知事をはじめ、黒ネクタイやイブニングドレスの紳士淑女、1,200人が参加した。晩餐やダンスには、ホノルル・シンフォニーが華を添え、その年ハワイ最大のイベントとなった。

1941年、ホテルは米国海軍の潜水艦乗組員の保養施設に指定され、一般観光客は宿泊出来なくなった。ホテル前の海岸は、日本海軍の進撃に備えて鉄線が張り巡らされ、同年12月7日の日本軍の真珠湾攻撃から1944年まで、ホテルは戒厳令が布かれた。

ホテルが海軍の保養施設となる前、ホテルの関係者は、それまで貯蔵してあったワインの貯蔵庫を厳重に閉鎖した。戦後、ワイン貯蔵庫を開けてみると、ワインは、そっくりそのまま、手付かずにあったという。

1959年、ホテルは「シェラトン」に売却されたが、1963年に「国際興業」(現地法人「京やカンパニー」)に転売され、現在に至る。

「ロイヤル・ハワイアン・ホテル」には、ルーズベルト大統領、ヘンリー・フォード、有名子役のシャーリー・テンプルなど、数々の映画俳優や著名人が滞在している。