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第62回 ロイヤル・ハワイアン・ホテル
(2008年11月27日)
第61回 キングスビレッジ
(2008年11月20日)
第60回 癒しの石
(2008年11月13日)
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第62回 ロイヤル・ハワイアン・ホテル

2008年11月27日 | オアフ島 ホテル 

「ホノルル点描」画:西川幸夫 文章:イースト・ウエスト・ジャーナル永井雄治、榊原百合惠

第62回 ピンク・パレスと呼ばれる「ロイヤル・ハワイアン・ホテル」

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ワイキキにある「ピンク・パレス/ピンク・レディ」という愛称の「ロイヤル・ハワイアン・ホテル」は、1927年2月1日にオープンした。現存するワイキキのホテルとしては、「モアナ・ホテル(現 モアナ・サーフライダー ウェスティン・リゾート&スパ)」に次ぎ古い。

20世紀初頭、マトソン客船に乗ってハワイに訪れる人が増えるに連れ、客船と同様の一流サービスが当地でも求められ、マトソン社は「ロイヤル・ハワイアン・ホテル」の建設を決めた。

1920年頃は、「モアナ・ホテル」のようなビクトリア様式の建築に人気があったが、「ロイヤル・ハワイアン・ホテル」は、厚いしっくい壁の地中海様式のデザインが選ばれた。建設費には400万ドルが投じられ、当時、太平洋最大の建設計画として注目を浴びた。

建設には約1年半かかり、数千個の砂岩の石塊、35,000バレルのセメント、75マイルの鉄線、50トンのしっくい、9,000ガロンのペンキなどが用いられた。

オープニング・セレモニーは、当時のファリントン知事をはじめ、黒ネクタイやイブニングドレスの紳士淑女、1,200人が参加した。晩餐やダンスには、ホノルル・シンフォニーが華を添え、その年ハワイ最大のイベントとなった。

1941年、ホテルは米国海軍の潜水艦乗組員の保養施設に指定され、一般観光客は宿泊出来なくなった。ホテル前の海岸は、日本海軍の進撃に備えて鉄線が張り巡らされ、同年12月7日の日本軍の真珠湾攻撃から1944年まで、ホテルは戒厳令が布かれた。

ホテルが海軍の保養施設となる前、ホテルの関係者は、それまで貯蔵してあったワインの貯蔵庫を厳重に閉鎖した。戦後、ワイン貯蔵庫を開けてみると、ワインは、そっくりそのまま、手付かずにあったという。

1959年、ホテルは「シェラトン」に売却されたが、1963年に「国際興業」(現地法人「京やカンパニー」)に転売され、現在に至る。

「ロイヤル・ハワイアン・ホテル」には、ルーズベルト大統領、ヘンリー・フォード、有名子役のシャーリー・テンプルなど、数々の映画俳優や著名人が滞在している。


西川幸夫 プロフィール

1939年生まれ、1961~1994年、新日本製鉄に勤務。北九州や欧州の風景をスケッチ・淡彩画で製作。
北九州でスケッチ・淡彩画教室「四季彩」を主宰。郵便局の官製はがき9シリーズでもおなじみ。他に「ふるさと12景」のカレンダー画をはじめ、書籍の表紙画や挿絵を手がけその仕事は広範囲にわたる。
現在、山口新聞に「長門101景」、ハワイのローカル情報誌イースト・ウェストジャーナルに「ホノルル点描101景」、佐賀市「市報さが」に[思いでの風景]を連載中。
著書に画集「北九州101景」、画集「寅さんが旅した風景」、画集「延岡やすらぎ101景」がある。
2008年6月出版予定の画集「新北九州101景」、2009年秋出版予定の松本清張生誕100年祭 画集「清張紀行101景」(仮称)を目指し取組み中。

第61回 キングスビレッジ

2008年11月20日 | オアフ島 ショッピング 

「ホノルル点描」画:西川幸夫 文章:イースト・ウエスト・ジャーナル永井雄治、榊原百合惠

第61回 毎夕、近衛兵交代式が楽しめる「キングスビレッジ」

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ワイキキのハイアットリージェンシーホテルの山側にあるキングスビレッジ・ショッピングセンターは、1972年にオープンした。

3階建て、白と青のヨーロッパ風建築のショッピングセンターは、時計台を中心に回廊式に店が並び、店を見ながら階段を使わずに3階まで行けるユニークな造りになっている。入口には、2メートル程の衛兵(キングスガード)の人形があり、ブティックやレストランなど、50店舗以上が入居している。

観光客で賑わうキングスビレッジの一番の目玉は、毎日午後6時から行われる近衛兵交代式。この近衛兵交代式は、かつてイオラニ宮殿で行われていた近衛兵交代式を模したもの。

メリーモナークという愛称で知られたカラカウア王は、ハワイの近代化を目指し、イギリス王室を見本にして、19世紀後半、イオラニ宮殿を建設した。

イオラニ宮殿建設後、王が直々に選んだ50名よりなる近衛兵隊を設け、王や女王、イオラニ宮殿の警備に当らせると共に、イギリスの近衛兵交代式を模した儀式を行っていたが、ハワイ王国が終焉したのを機に近衛兵隊も解散された。

キングスビレッジ・ショッピングセンターのオープンを機に、かつての近衛兵隊を復活させて来訪者に披露することが決まり、現在の近衛兵隊が生まれた。以来、毎夕、正門前で近衛兵交代式が披露されている。

1997年、近衛兵の16個のヘルメットが盗まれたことがある。数日後、ヘルメットの入った2つの箱がセントルイスハイツで見つかり、係員が受取りに行くと、箱には盗まれた16個のヘルメットに加え、1972年頃の初代近衛兵隊のヘルメット1個が入っていたという。

キングスビレッジの1階には、近衛兵博物館(入場無料)があり、かつてのイオラニ宮殿の近衛兵隊の写真やユニフォーム、ライフル、刀、旗などが展示されている。
 


西川幸夫 プロフィール

1939年生まれ、1961~1994年、新日本製鉄に勤務。北九州や欧州の風景をスケッチ・淡彩画で製作。
北九州でスケッチ・淡彩画教室「四季彩」を主宰。郵便局の官製はがき9シリーズでもおなじみ。他に「ふるさと12景」のカレンダー画をはじめ、書籍の表紙画や挿絵を手がけその仕事は広範囲にわたる。
現在、山口新聞に「長門101景」、ハワイのローカル情報誌イースト・ウェストジャーナルに「ホノルル点描101景」、佐賀市「市報さが」に[思いでの風景]を連載中。
著書に画集「北九州101景」、画集「寅さんが旅した風景」、画集「延岡やすらぎ101景」がある。
2008年6月出版予定の画集「新北九州101景」、2009年秋出版予定の松本清張生誕100年祭 画集「清張紀行101景」(仮称)を目指し取組み中。

第60回 癒しの石

2008年11月13日 | オアフ島 

「ホノルル点描」画:西川幸夫 文章:イースト・ウエスト・ジャーナル永井雄治、榊原百合惠

第60回 タヒチの祈祷師が残したと言い伝えがある「癒しの石」

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カラカウア大通りのハイアットリージェンシーホテルの海側、クヒオ海岸のワイキキ交番の側に巨大な石が4つある。

言い伝えによると、この巨石は、15世紀頃タヒチから来た、カパエマフ、カプニ、カハロア、キノヒの4人のカフナ(祈祷師)の指示によって置かれたと言われている。

4人のカフナには、癒す力があるといわれ、祈祷で病気を治したり、癒しの術をハワイの人に伝授していた。暫くしてカフナたちはタヒチに帰ることになったが、ハワイの住民は、4人に「帰らないで下さい」と懇願した。

カフナたちは、「それなら我々4人を象徴する大きな石をここに運んで来て下さい。その石に癒しの力を念じ込めましょう」と応えた。それを聞いた住民たちは、ワイキキから3キロ程離れたカイムキのワイアラエ通りにあった巨石を一夜にして人の手だけでワイキキまで運んだと言われている。推定8トンもある巨石を当時沼地だったワイキキにどのように運んだかは、未だに謎に包まれている。

当初、4個の石の内、2つの石は、カフナの家のあった場所に置かれ、2つの石は、彼らの水浴び場所に置かれた。4人は、おのおのが自分を象徴する石を選び、自分の石に癒しの力を念じ込めた。その後盛大な奉納儀式が行われ、カフナたちはハワイを去った。

1901年、モアナサーフライダーホテル建設の際、巨石はホテルの前に移動された。その後、巨石はボーリング場の土台にされたが、1960年代にボーリング場を解体した際に再び陽の目を浴びた。

その後、巨石はワイキキを訪れる人の荷物置き場や食事のテーブルなどとして利用されていたが、地元住民から神聖な石を守る声が持ち上がり、1997年に75,000ドルを投じて、巨石の回りに柵が建設された。

現在、石に直接手を触れることは出来ないが、カフナの癒しの力を信じる人たちが後を絶たず、ハワイアンにとって神聖な場所としてあがめられている。




西川幸夫 プロフィール

1939年生まれ、1961~1994年、新日本製鉄に勤務。北九州や欧州の風景をスケッチ・淡彩画で製作。
北九州でスケッチ・淡彩画教室「四季彩」を主宰。郵便局の官製はがき9シリーズでもおなじみ。他に「ふるさと12景」のカレンダー画をはじめ、書籍の表紙画や挿絵を手がけその仕事は広範囲にわたる。
現在、山口新聞に「長門101景」、ハワイのローカル情報誌イースト・ウェストジャーナルに「ホノルル点描101景」、佐賀市「市報さが」に[思いでの風景]を連載中。
著書に画集「北九州101景」、画集「寅さんが旅した風景」、画集「延岡やすらぎ101景」がある。
2008年6月出版予定の画集「新北九州101景」、2009年秋出版予定の松本清張生誕100年祭 画集「清張紀行101景」(仮称)を目指し取組み中。

第59回 アロハスタジアム

2008年11月06日 | オアフ島 ハワイで暮らす 

「ホノルル点描」画:西川幸夫 文章:イースト・ウエスト・ジャーナル永井雄治、榊原百合惠

第59回 5万人収容の多機能スタジアム「アロハスタジアム」

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アイエアにあるアロハスタジアム(収容人数5万人)は、それまで南キングとアイゼンバーグ通りの角にあったホノルルスタジアムに替わるスタジアムとして、1975年に3,700万ドルを投じて建設された。

ここでは、フットボール、野球、サッカーなどのスポーツイベントのほか、コンサートやカーショーなども行われ、建設当初は、米国初の移動可能なスタンドのスタジアムとして注目を浴びた。

それぞれ7,000席ずつよりなる4つの移動可能なスタンドを、野球をする時にはダイヤモンド型にし、フットボールをする時には楕円形、サッカーをする時には長方形、コンサートをする時には三角形に組み替えることが出来たが、整備などにコストがかかることから、2007年1月より恒久的にフットボールの楕円形の形に固定された。

このスタジアムは、ハワイ大学のフットボールチーム〈ウォリアーズ〉のホームスタジアムであり、1980年からNFL(ナショナル・フットボール・リーグ)のプロ・ボウルのホームスタジアムになっている。

また、NCAA(ナショナル・カレッジ・アスレティック・アソシエーション)のフラボウル(1975年から1997年まで、2006年から現在)、アロハボウル(1982年から2000年まで)、オアフボウル(1988年から2000年)、ハワイボウル(2002年から現在)が行われている他、高校のフットボールの試合も行われている。

また、1984年にポリス、1997年にマイケル・ジャクソン、1998年にローリングストーンズとマライア・キャリー、1999年にセリーン・ディオン、2002年にジャネット・ジャクソン、2006年にU2のコンサートが行われている他、2001年には日本のTUBEのコンサートも行われた。

また、同スタジアムの駐車場において、毎水曜日、土曜日、日曜日の午前6時から午後3時まで、約700店舗の店が並ぶスワップミートが行われ、地元の人だけでなく、観光客にも掘り出し物が探せる場所として人気がある。



西川幸夫 プロフィール

1939年生まれ、1961~1994年、新日本製鉄に勤務。北九州や欧州の風景をスケッチ・淡彩画で製作。
北九州でスケッチ・淡彩画教室「四季彩」を主宰。郵便局の官製はがき9シリーズでもおなじみ。他に「ふるさと12景」のカレンダー画をはじめ、書籍の表紙画や挿絵を手がけその仕事は広範囲にわたる。
現在、山口新聞に「長門101景」、ハワイのローカル情報誌イースト・ウェストジャーナルに「ホノルル点描101景」、佐賀市「市報さが」に[思いでの風景]を連載中。
著書に画集「北九州101景」、画集「寅さんが旅した風景」、画集「延岡やすらぎ101景」がある。
2008年6月出版予定の画集「新北九州101景」、2009年秋出版予定の松本清張生誕100年祭 画集「清張紀行101景」(仮称)を目指し取組み中。