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第55回 えひめ丸慰霊碑

2008年10月09日 | オアフ島 ハワイで暮らす 

「ホノルル点描」画:西川幸夫 文章:イースト・ウエスト・ジャーナル永井雄治、榊原百合惠

第55回 えひめ丸の錨と九環の鎖よりなる「えひめ丸慰霊碑」

55.jpg
カカアコ・ウォーターフロント公園の海の見える場所に設置された「えひめ丸」慰霊碑は、「えひめ丸」事件の起きた1年後の2002年2月9日に建立された。

2001年2月9日午後1時43分、ダイアモンドヘッド沖で愛媛県立宇和島水産高等学校の水産実習船「えひめ丸」は、緊急浮上した米国海軍原子力潜水艦グリーンビルに衝突され、エンジン周辺を損傷して5分程で沈没した。

「えひめ丸」に乗船していた35名の乗組員の内、実習生4名、指導教官2名、乗組員3名、合計9名の尊い命が失われた。衝突の際に海上に投げ出された26人は救出されたが、その内の1人が座骨骨折、11人が軽傷を負った。

事故後、アメリカのブッシュ大統領が森喜朗総理(当時)に謝罪した他、パウエル国務長官(当時)が河野外務大臣(当時)に電話で謝罪した。事故の約3週間後、アメリカ大統領特使ファロン海軍大将が大統領親書を携行して来日し、アメリカ側は全責任を認めた。

日本政府は、アメリカ政府に「えひめ丸」の引き上げを要請し協議が行われた。同年8月には、日本の潜水艦「ちはや」が、遺体捜索作業を行い、9人の行方不明者の内、8人の遺体を収容した。

同年10月15日から、「えひめ丸」を海底約35メートルの地点に移し、アメリカ海軍による船内捜索、回収作業が行われ、日本側に回収品を返還した。

同年11月、日本の海上自衛隊ダイバーが船内の最終確認をした後、アメリカ海軍が「えひめ丸」を海底約1,800メートルの深海に移した。

遺族などの要請を受け、愛媛県は、宇和島市とホノルルに慰霊碑の建立を決定し、事故発生一周年に、被害者9遺族25名、救出者4家族8名などが参列して、「えひめ丸慰霊碑除幕式」が行われた。

慰霊碑には、事故の経過と共に、「ここに、犠牲となった9名の方々のご冥福と世界の海の安全を祈るとともに、愛媛県とハワイ州、日本国とアメリカ合衆国の人々が相互理解を深め、親善友好が促進されることを願って、えひめ丸の錨と9環の鎖をこの地に残し、とこしえの形見とする」と書かれている。




西川幸夫 プロフィール

1939年生まれ、1961~1994年、新日本製鉄に勤務。北九州や欧州の風景をスケッチ・淡彩画で製作。
北九州でスケッチ・淡彩画教室「四季彩」を主宰。郵便局の官製はがき9シリーズでもおなじみ。他に「ふるさと12景」のカレンダー画をはじめ、書籍の表紙画や挿絵を手がけその仕事は広範囲にわたる。
現在、山口新聞に「長門101景」、ハワイのローカル情報誌イースト・ウェストジャーナルに「ホノルル点描101景」、佐賀市「市報さが」に[思いでの風景]を連載中。
著書に画集「北九州101景」、画集「寅さんが旅した風景」、画集「延岡やすらぎ101景」がある。
2008年6月出版予定の画集「新北九州101景」、2009年秋出版予定の松本清張生誕100年祭 画集「清張紀行101景」(仮称)を目指し取組み中。