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第54回 クアキニ病院

2008年10月02日 | オアフ島 ハワイで暮らす 

「ホノルル点描」画:西川幸夫 文章:イースト・ウエスト・ジャーナル永井雄治、榊原百合惠

第54回 現存する米唯一の日系人設立病院「クアキニ病院」

54.jpg

クアキニ通りにある「クアキニ・メディカル・センター」(通称「クアキニ病院」)の歴史は、1892年の「日本慈善協会」の発足にさかのぼる。

1899年、ホノルルのチャイナタウンにペストが蔓延したため、感染地域の焼き払いが始まったが、1900年1月、その火がチャイナタウン一帯に飛び火し、大火事となった。「日本慈善協会」は、着の身着のまま逃げ出し、着るものや食べ物がない数千人の日系移民を救済するために仮避難所を造った。

「日本慈善協会」は、病院建設のための募金を募り、カパラマ地区の半エーカーの敷地を購入した。1900年7月、木造2階建38床の「日本慈善病院」を設立したが、開院して2年間、常に満床状態だったため、1902年8月には、近隣の木造2階建40床の場所に移った。

しかし、ここも手狭になり、1917年に、大正天皇皇后両陛下の恩賜や地域住民の寄付により、現在地に、17棟70床の「日本病院」を建設した。

1931年には、「日本病院看護学校」を設立し、1学級約20人、3年間の研修課程が日本語で行われた。また、高齢で身寄りのない砂糖耕地労働者の介護をするために寄付を募り、1932年に、現在の「クアキニホーム」の前身、「ハワイ日本人養老院」を設立した。

1934年、昭和天皇皇后両陛下の一万円の恩賜により、1939年に、X線、手術、分娩設備完備の百床の病院に拡張し、増築部分は、「恩賜記念館」と名付けられた。

第二次世界大戦中は、「オアフ第147総合病院」と呼ばれたが、1942年に「クアキニホスピタル&ホーム」に改名。1951年には、エワ棟とワイキキ棟が増築され140床になったが、「日本病院看護学校」は、1955年の卒業生を最後に閉鎖された。

1975年には、「クアキニ・メディカル・センター」と改名され、1979年には、8階建の駐車場と医院ビル「クアキニ・メディカル・プラザ」が建設された。

1980年3月には、緊急医療と老人医療施設の「ハレ・プラマ・マウ」が建設され、屋上にはヘリポートが造られた。

「クアキニ病院」は、現存する米唯一の日系移民が設立した病院で、現在250床。最先端の技術を誇る医療施設である。



西川幸夫 プロフィール

1939年生まれ、1961~1994年、新日本製鉄に勤務。北九州や欧州の風景をスケッチ・淡彩画で製作。
北九州でスケッチ・淡彩画教室「四季彩」を主宰。郵便局の官製はがき9シリーズでもおなじみ。他に「ふるさと12景」のカレンダー画をはじめ、書籍の表紙画や挿絵を手がけその仕事は広範囲にわたる。
現在、山口新聞に「長門101景」、ハワイのローカル情報誌イースト・ウェストジャーナルに「ホノルル点描101景」、佐賀市「市報さが」に[思いでの風景]を連載中。
著書に画集「北九州101景」、画集「寅さんが旅した風景」、画集「延岡やすらぎ101景」がある。
2008年6月出版予定の画集「新北九州101景」、2009年秋出版予定の松本清張生誕100年祭 画集「清張紀行101景」(仮称)を目指し取組み中。