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第53回 ドール・プランテーション
(2008年09月25日)
第52回 カメハメハ大王像
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第53回 ドール・プランテーション

2008年09月25日 | オアフ島 ハワイで暮らす 

「ホノルル点描」画:西川幸夫 文章:イースト・ウエスト・ジャーナル永井雄治、榊原百合惠

第53回 フルーツスタンドとして始まった「ドール・プランテーション」

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ワヒアワには、パイナップル畑が一面広がり、カメハメハ・ハイウェイ沿いにある「ドール・プランテーション」の一帯は、農場試験地域として、昔からパイナップルの品種改良や試験栽培が行われている。

「ドール・プランテーション」は、1950年にフルーツ・スタンドとして始まった。1989年にそのスタンドを大改造し、パイナップルについて学んだり、味見などが出来る観光地として「ドール・プランテーション」がオープンした。

1997年には、125,000ドルを投じ、更なる改装が行われ、1998年4月には、敷地内に2.3エーカー(9,307平方メートル)の巨大な迷路がオープンした。

迷路の長さは、1.7マイル(約2.7キロ)。1998年と2001年には、世界一長い迷路として「ギネスブック」に公式登録された。迷路の垣根は、ハイビスカス、ヘリコニアなど、ハワイを代表する10,000本以上の木々で造られ、迷路の中心は、パイナップルの図柄になっている。

2002年には、パイナップル・エクスプレス・トレインが開通。パイナップル急行と名付けられた小型機関車に乗りながら、パイナップル、マンゴー、パパイヤ、ライチー、コーヒー、カカオなど、ハワイの農作物を間近に見ることが出来る。

2003年には、プランテーション・ガーデンがオープンした。園内にはレイ園、ハイビスカス園、ノースショアの庭園、ブロメリア園、ティの庭園、プランテーションの生活、ハワイの固有種園、畑の灌漑と名付けられた8つの小庭園がある。

プランテーション・センター内の売店は、昨年春の拡張工事で従来の倍以上になり、パイナップルに関する様々な製品が一堂に集められている。ハワイの農業観光を代表する「ドール・プランテーション」は、年間百万人以上の人が訪れる観光名所になっている。

ドール・プランテーション 詳しくはこちら>>



西川幸夫 プロフィール

1939年生まれ、1961~1994年、新日本製鉄に勤務。北九州や欧州の風景をスケッチ・淡彩画で製作。
北九州でスケッチ・淡彩画教室「四季彩」を主宰。郵便局の官製はがき9シリーズでもおなじみ。他に「ふるさと12景」のカレンダー画をはじめ、書籍の表紙画や挿絵を手がけその仕事は広範囲にわたる。
現在、山口新聞に「長門101景」、ハワイのローカル情報誌イースト・ウェストジャーナルに「ホノルル点描101景」、佐賀市「市報さが」に[思いでの風景]を連載中。
著書に画集「北九州101景」、画集「寅さんが旅した風景」、画集「延岡やすらぎ101景」がある。
2008年6月出版予定の画集「新北九州101景」、2009年秋出版予定の松本清張生誕100年祭 画集「清張紀行101景」(仮称)を目指し取組み中。

第52回 カメハメハ大王像

2008年09月18日 | オアフ島 ハワイで暮らす 

「ホノルル点描」画:西川幸夫 文章:イースト・ウエスト・ジャーナル永井雄治、榊原百合惠

第52回 米国切手の図柄にもなった「カメハメハ大王像」

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南キング通りのイオラニ宮殿の向い、アリイイオラニ・ハレの前にあるカメハメハ大王像は、デイビッド・カラカウア王が1883年に建立した。

カメハメハ大王は、1756年、ハワイ島コハラ地区のカパアウで生まれ、1795年にカウアイ島とニイハウ島を除くハワイ諸島を統一した。ハワイ史上最も武勇に長けた王として知られ、1819年に没するまで、ハワイ王国民の仰望を集めた。

カラカウア王は、カメハメハ大王の栄誉を讃え、1878年に、ボストン出身でイタリア在住の彫刻家、トーマス・ゴウルドを銅像の作者に指定し、友人でハワイアンの血を引くジョン・ベーカーを銅像のモデルに選んだ。

ゴウルドは、創った原型像をフランスのパリに送り鋳造を依頼し、完成した銅像はパリからハワイに輸送された。しかし、アルゼンチン沖のフォークランド諸島付近で船が沈没し、銅像は海に沈んでしまった。

それを知ったカラカウア王は、銅像にかけられた保険金で、新たな銅像の制作を委託し、1883年に現在の場所に建立した。

銅像は、大王の象徴であるマヒオレというヘルメット、マント、飾り帯を身に付け、左手には槍を持ち、右手はアロハを象徴するジェスチャーをしている。このカメハメハ大王像は、1937年に発行された米国三セント切手の図柄になった。

永久に日の目を見ることが無いと思われた初めの銅像は、実はイギリス船の船長が海底から引き上げていた。カラカウア王は、その銅像を買い取り、痛んだ所を修理してから、カパアウの裁判所の前に1912年に建立した。また、カメハメハ大王像のレプリカは、米国国会議事堂にもあり、合計三体の銅像がある。

カメハメハ五世は、カメハメハ大王の栄誉を讃え、1871年に、6月11日をカメハメハ・デーと制定した。毎年カメハメハ・デーには、大王に因んだパレードが行なわれるほか、体長約3メートルのカメハメハ大王像に6メートル程の長いレイがかけられる。また、5月1日のレイ・デーにも同様の長いレイが銅像にかけられる。

2005年のカメハメハ・デーには、銅像の台座の四方に、カメハメハ大王を讃えるレリーフの飾り板が取り付けられた。



西川幸夫 プロフィール

1939年生まれ、1961~1994年、新日本製鉄に勤務。北九州や欧州の風景をスケッチ・淡彩画で製作。
北九州でスケッチ・淡彩画教室「四季彩」を主宰。郵便局の官製はがき9シリーズでもおなじみ。他に「ふるさと12景」のカレンダー画をはじめ、書籍の表紙画や挿絵を手がけその仕事は広範囲にわたる。
現在、山口新聞に「長門101景」、ハワイのローカル情報誌イースト・ウェストジャーナルに「ホノルル点描101景」、佐賀市「市報さが」に[思いでの風景]を連載中。
著書に画集「北九州101景」、画集「寅さんが旅した風景」、画集「延岡やすらぎ101景」がある。
2008年6月出版予定の画集「新北九州101景」、2009年秋出版予定の松本清張生誕100年祭 画集「清張紀行101景」(仮称)を目指し取組み中。

第51回 ハワイ日本文化センター

2008年09月11日 | オアフ島 ハワイで暮らす 

「ホノルル点描」画:西川幸夫 文章:イースト・ウエスト・ジャーナル永井雄治、榊原百合惠

第51回 ハワイ日系人の拠点「ハワイ日本文化センター」

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南ベレタニア通りにあるハワイ日本文化センターは、1994年5月21日に、三笠宮寛仁殿下と信子妃殿下ご臨席のもと、竣工式が行われた。

「ハワイ日本文化センター」の設立は、1985年の日本人官約移民百年祭の記念に、日本文化を伝承するのに相応しい記念館を造ろうという動きが生まれたことに端を発する。

更に、ホノルル日本人商工会議所が、ビショップ財団から現在地の買収を取り付けたことも大きな原動力となり、第100大隊、442連隊、陸軍情報部機関(MIS)などの関係者が、日系人の歴史を伝承する施設を造ろうとしていた動きと相まって文化センター設立の動きが生まれた。

1987年から、ハワイ日系人連合協会、ハワイ日米協会、日本クラブ、442連隊、陸軍情報部機関クラブ、ホノルル日本人青年会議所、沖縄連合協会、ホノルル日系婦人会などが中心となり構想が練られた。

1988年3月から、総額1000万ドルを目標にした募金活動が始まり、理事会が結成された。当初は、既存のホノルル日本人商工会議所と駐車場や大広間を改築するという構想だったが、武道場や歴史資料館、お茶室も加えた記念館を造る計画に移行し、募金目標額も1850万ドルに変更された。

理事会員らは、地元ハワイでの募金活動に留まらず、日本の都府県知事や県人会関係者らにも陳情に行き、日本各地を東奔西走した。多くの人が募金活動に尽力した結果、ハワイだけでなく、日本政府、東京都、広島県、福岡県、山口県、岡山県、福井県、石川県、沖縄県、熊本県などからも募金が集まった。

建設工事は、第一期と第二期に分けられ、第一期工事では、元お茶室があった場所に四階建の事務所ビル(ハリー・アンド・ジーンネッテ・ワインバーグビル)が1991年8月23日に建設された。

竣工式から八年以上経った2002年10月、建設工事費や利子などによる借金、1100万ドルの返済期限を同年の大晦日に控え、建物売却案が持ち上がった。理事会は急遽600万ドルの募金を集め、債権者との合意も得て、建物は抵当に入るのを免れた。

現在、ハワイ日本文化センターは、日系移民の偉業を讃え、その遺産を継承し、日米両国の文化の架け橋となる記念館として、新年や七五三、お茶会など、日本文化に因んだ数々の行事が行われ、多くの人に利用されている。



西川幸夫 プロフィール

1939年生まれ、1961~1994年、新日本製鉄に勤務。北九州や欧州の風景をスケッチ・淡彩画で製作。
北九州でスケッチ・淡彩画教室「四季彩」を主宰。郵便局の官製はがき9シリーズでもおなじみ。他に「ふるさと12景」のカレンダー画をはじめ、書籍の表紙画や挿絵を手がけその仕事は広範囲にわたる。
現在、山口新聞に「長門101景」、ハワイのローカル情報誌イースト・ウェストジャーナルに「ホノルル点描101景」、佐賀市「市報さが」に[思いでの風景]を連載中。
著書に画集「北九州101景」、画集「寅さんが旅した風景」、画集「延岡やすらぎ101景」がある。
2008年6月出版予定の画集「新北九州101景」、2009年秋出版予定の松本清張生誕100年祭 画集「清張紀行101景」(仮称)を目指し取組み中。

第50回 モルモン教会

2008年09月04日 | オアフ島 ハワイで暮らす 

「ホノルル点描」画:西川幸夫 文章:イースト・ウエスト・ジャーナル永井雄治、榊原百合惠

第50回 ユタ州以外で最も古いライエの「モルモン教会」

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ライエにあるモルモン教会は、1915年6月1日に設立された。

モルモン教というのは、末日聖徒イエス・キリスト教会の俗称で、1830年ジョセフ・スミスが創始した。彼はイリノイ州で暗殺され、多くの信者はブリガム・ヤングを二代目の指導者として支持し、モルモン開拓者として迫害の恐れのないソルトレイクシティを建設し、そこが後にユタ州となった。

ライエ・ハワイ教会は、現在運営しているモルモン教会の中で五番目に古く、ユタ州以外に建設されたモルモン教会では一番古い。

現在、ライエ・ハワイ教会のある場所の一帯は、かつては広大なサトウキビ畑で、1865年に砂糖耕地の一部、11エーカーをモルモン教会が購入した。

ライエ・ハワイ教会は、南米の古代文明の遺跡や教典に記されたソロモン神殿を元にしてデザインされた。建築資材は、出来るだけハワイのものを使う方針を打ち出し、溶岩を砕いたものや、珊瑚礁などが多く使われた。

ライエ・ハワイ教会は、輝く白壁と、ギリシャ十字を元にした庭園や池の前庭が特長。教会の四方にある帯状の装飾は、神と人間の関係を表し、北側の装飾は、モルモン教の教典を表している。西側の装飾は旧約聖書、南側の装飾は新約聖書を表し、東側の装飾はモルモン教会を表している。

教会を建設中、建設に必要な材木が足りなくなった。当時ハワイでは、材木は貴重な資材で品薄だったが、ある船が近海で座礁し、荷の材木を下ろさなくてはいけなくなった。信者や建設業者などが、ボランティアとして材木を船から下ろすのを手伝い、教会は、船の好意で材木をもらえることになった。不思議なことに、船から下ろした材木は、教会を完成させるのに丁度必要な量だけあったという。

ライエ・ハワイ教会には、隣接してモルモン教会が運営するブリガム・ヤング大学ハワイ校がある。


西川幸夫 プロフィール

1939年生まれ、1961~1994年、新日本製鉄に勤務。北九州や欧州の風景をスケッチ・淡彩画で製作。
北九州でスケッチ・淡彩画教室「四季彩」を主宰。郵便局の官製はがき9シリーズでもおなじみ。他に「ふるさと12景」のカレンダー画をはじめ、書籍の表紙画や挿絵を手がけその仕事は広範囲にわたる。
現在、山口新聞に「長門101景」、ハワイのローカル情報誌イースト・ウェストジャーナルに「ホノルル点描101景」、佐賀市「市報さが」に[思いでの風景]を連載中。
著書に画集「北九州101景」、画集「寅さんが旅した風景」、画集「延岡やすらぎ101景」がある。
2008年6月出版予定の画集「新北九州101景」、2009年秋出版予定の松本清張生誕100年祭 画集「清張紀行101景」(仮称)を目指し取組み中。