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第49回 ハナウマベイ
(2008年08月27日)
第48回 ハワイ州庁舎
(2008年08月21日)
第47回 ハワイ・マリタイム・センター
(2008年08月14日)
第46回 マキキ日本人墓地
(2008年08月11日)
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第49回 ハナウマベイ

2008年08月27日 | アート オアフ島 ハワイで暮らす 

「ホノルル点描」画:西川幸夫 文章:イースト・ウエスト・ジャーナル永井雄治、榊原百合惠

第49回 腕相撲の湾という伝説のある「ハナウマベイ」

49.jpg オアフ島の東端に位置するハナウマベイは、スノーケルの出来る海岸として観光客や地元の人に人気がある。日本語のような名前だが、ハナはハワイ語で〈湾〉、ウマは〈湾曲〉で、湾曲した湾という意味。

ハナウマベイは、数万年前にオアフ島に起きた火山活動の一環として形成された。海底火山の噴火により、火口から海水と共に大量の火山灰が吹き上げ、地上に盛り上がった。湾内にある最古の珊瑚礁は、7000年前のもので、湾の入口から外側に向って今も珊瑚礁が形成されつつある。

スノーケルをすると、水族館の熱帯魚の水槽の中を泳いでいるような錯覚を受ける湾内には、州の魚のフムフムヌクヌクアプアアや青ウミガメを含む約四百五十種類の海洋生物が棲息しており、その内の約20%から30%がハワイだけに棲息する固有種である。

ハワイ語のウマには、〈腕相撲〉という意味もあり、〈腕相撲の湾〉の由縁となる伝説もある。

かつてハワイには、ケオヒナニという美しい酋長の娘がおり、彼女に想いを寄せるココとハナという二人の酋長がいた。ケオヒナニは、どちらも同じくらい好きだったので、どちらと結婚しようか迷っていたが、二人に腕相撲をさせて、勝った方と結婚すると宣言した。

ケオヒナニの父親のケアナモオ酋長監督のもと、日の出からココとハナの腕相撲が始まった。どちらも力持ちで腕相撲には強く、始まりと共に、二人は満身の力を込めて踏ん張り、腕はどちらにもびくともしなかった。

二人は、腕の筋肉を隆々とさせ、汗びっしょりになって歯を食いしばり続けたが、日が暮れても勝負がつかなかった。ケオヒナニは、このままだと腕相撲は夜通し続き、終いにはどちらも疲労困憊してしまうだろうと思い始めた。

彼女は一人静かにハナウマ湾の一番高い丘に登り、神様に「二人が、私の美しさと清らかさを永遠に眺められるように、私を丘にして下さい」とお願いし、丘になってしまった。

それを見た父親も、娘の優しさに心を打たれ、湾を取り囲む丘陵になった。

ハナウマベイは、上から見ると二つの丘が絡み合ったように見えるのは、二人が腕相撲をしているからだと言われている。
 

西川幸夫 プロフィール

1939年生まれ、1961~1994年、新日本製鉄に勤務。北九州や欧州の風景をスケッチ・淡彩画で製作。
北九州でスケッチ・淡彩画教室「四季彩」を主宰。郵便局の官製はがき9シリーズでもおなじみ。他に「ふるさと12景」のカレンダー画をはじめ、書籍の表紙画や挿絵を手がけその仕事は広範囲にわたる。
現在、山口新聞に「長門101景」、ハワイのローカル情報誌イースト・ウェストジャーナルに「ホノルル点描101景」、佐賀市「市報さが」に[思いでの風景]を連載中。
著書に画集「北九州101景」、画集「寅さんが旅した風景」、画集「延岡やすらぎ101景」がある。
2008年6月出版予定の画集「新北九州101景」、2009年秋出版予定の松本清張生誕100年祭 画集「清張紀行101景」(仮称)を目指し取組み中。

第48回 ハワイ州庁舎

2008年08月21日 | オアフ島 ハワイで暮らす 

「ホノルル点描」画:西川幸夫 文章:イースト・ウエスト・ジャーナル永井雄治、榊原百合惠

第48回 火山をイメージしたデザインの「ハワイ州庁舎」

48.jpg
イオラニ宮殿の山側、ベレタニア通りとパンチボウル通りの角にあるハワイ州庁舎は、1969年3月15日に建設された。

ハワイは、1959年8月21日にアメリカの第50番目の州になり、州議会が発足したが、現ハワイ州庁舎が建設されるまでは、隣のイオラニ宮殿で議会が行われていた。

イオラニ宮殿は、デイビット・カラカウア王により1882年にハワイ王国庁舎として建設され、その後、王国が廃されて暫定政府庁舎となり、ハワイ共和国政府庁舎、統治領政府庁舎を経て、現ハワイ州庁舎が建設されるまで、ハワイ州庁舎となっていた。

ハワイは、アメリカで唯一、島の州であるため、海に囲まれたハワイを象徴するように、州庁舎は、プールの上に火山をイメージした斬新で広々としたオープンエアーの5階建ての建物がデザインされた。

建物の外側の巨大な柱は、ハワイのあちこちで見られるヤシの木を象徴し、正面から見ると八本ある。またその上部にある柱が八本ごとに区切られているのは、ハワイのニイハウ島、カウアイ島、オアフ島、モロカイ島、ラナイ島、マウイ島、カホオラヴェ島、ハワイ島の八島を象徴している。

州庁舎の両正面には、大きな州章が飾られている。州章には、ハワイが州になった年の1959年、カメハメハ大王、自由の女神、州のハワイ語のモットーの〈ウア・マウ・ケ・エア・オ・カ・アイナ・イ・カ・ポノ〉(土地の生命は、正しいものに永遠に宿る)があしらわれている。

ハワイ州庁舎には、25議席よりなるハワイ上院議会室、51議席よりなるハワイ下院議会室、州知事室、副知事室などがある。上院、下院とも、議会室は火山をイメージしたデザインになっており、上院議会室には、ハワイの土を象徴する赤茶色を基調にしたタペストリーが飾られ、下院議会室には、ハワイの海や空をイメージしたタペストリーが飾られている。

州庁舎の1階正面には、デミアン神父の銅像がある。デミアン神父は、かつてモロカイ島カラウパパにあったハンセン病療養施設にいた患者の精神的支えとなり、自身もハンセン病にかかり49才で没するまでの16年間、献身的に患者に尽力したことで知られる。


西川幸夫 プロフィール

1939年生まれ、1961~1994年、新日本製鉄に勤務。北九州や欧州の風景をスケッチ・淡彩画で製作。
北九州でスケッチ・淡彩画教室「四季彩」を主宰。郵便局の官製はがき9シリーズでもおなじみ。他に「ふるさと12景」のカレンダー画をはじめ、書籍の表紙画や挿絵を手がけその仕事は広範囲にわたる。
現在、山口新聞に「長門101景」、ハワイのローカル情報誌イースト・ウェストジャーナルに「ホノルル点描101景」、佐賀市「市報さが」に[思いでの風景]を連載中。
著書に画集「北九州101景」、画集「寅さんが旅した風景」、画集「延岡やすらぎ101景」がある。
2008年6月出版予定の画集「新北九州101景」、2009年秋出版予定の松本清張生誕100年祭 画集「清張紀行101景」(仮称)を目指し取組み中。

第47回 ハワイ・マリタイム・センター

2008年08月14日 | アート オアフ島 オプショナルツアー ハワイで暮らす 

「ホノルル点描」画:西川幸夫 文章:イースト・ウエスト・ジャーナル永井雄治、榊原百合惠

第47回 カラカウア王のボートハウスを復元した「ハワイ・マリタイム・センター」

47.jpg
アロハタワーの隣、ホノルル港第七埠頭にある「ハワイ・マリタイム・センター」は、ビショップ博物館関連施設として、1988年に設立された。この場所は、かつてデイビット・カラカウア王のボートハウスがあり、その建物を復元して建てられたため、設立当時は、「カラカウア王のボートハウス博物館」と呼ばれていた。

「ハワイ・マリタイム・センター」には、イギリス人のクック船長がタヒチから北極に向う途中にハワイを発見した時のことや、ハワイが白檀交易や捕鯨基地として栄えた時代、本土とハワイを結ぶ鍵となったマトソン海運社の歴史など、ポリネシア地域の約1500年に亘る航海史が展示されている。

館内で目を引くのは、体長13.5メートルのザトウクジラの骨格。この骨は、1986年にカホオラヴェ島に打ち上げられたクジラの骨を丁寧に洗い、元のように復元したもので、ハワイの子供たちにより「Lei iwi」(大切な骨のレイ)と名付けられた。

センター隣の埠頭には、1878年にスコットランドで造られた、現存する世界最古の四本マストの帆船、「フォールズ・オブ・クライド」が停泊している。この船は、長い間オイルタンカーとして活躍していたが、1959年、時代遅れを理由に廃船になり、壊して防波堤にすることになっていた。しかし、ハワイ市民の支援やマトソン海運社などの援助金により解体を逃れ、ハワイに牽引されて修復された。

「フォールズ・オブ・クライド」は、その修復や復元状態の良さが認められ、1989年に国の歴史的建造物に指定された。通常は、「フォールズ・オブ・クライド」と共に、ポリネシア伝統の航海カヌー、「ホクレア」が埠頭に横付けされている。

ハワイ語で「喜びの星」という意味の「ホクレア」は、2本マスト、全長約19メートル。1975年にアメリカ合衆国建国200周年記念事業の一環として建造され、翌年からハワイ・タヒチ往還、ハワイ・マルケサス諸島往還、ハワイ・北西ハワイ諸島往還など、様々な航海をしている。


西川幸夫 プロフィール

1939年生まれ、1961~1994年、新日本製鉄に勤務。北九州や欧州の風景をスケッチ・淡彩画で製作。
北九州でスケッチ・淡彩画教室「四季彩」を主宰。郵便局の官製はがき9シリーズでもおなじみ。他に「ふるさと12景」のカレンダー画をはじめ、書籍の表紙画や挿絵を手がけその仕事は広範囲にわたる。
現在、山口新聞に「長門101景」、ハワイのローカル情報誌イースト・ウェストジャーナルに「ホノルル点描101景」、佐賀市「市報さが」に[思いでの風景]を連載中。
著書に画集「北九州101景」、画集「寅さんが旅した風景」、画集「延岡やすらぎ101景」がある。
2008年6月出版予定の画集「新北九州101景」、2009年秋出版予定の松本清張生誕100年祭 画集「清張紀行101景」(仮称)を目指し取組み中。

第46回 マキキ日本人墓地

2008年08月11日 | アート オアフ島 ハワイで暮らす 

「ホノルル点描」画:西川幸夫 文章:イースト・ウエスト・ジャーナル永井雄治、榊原百合惠

第46回 日本人の先覚者たちが眠る「マキキ日本人墓地」

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ペンサコーラ通りとワイルダー通りの角にあるマキキ墓地内の日本人墓地は、1900年代の初めに、ホノルル在留日本人の募金により、先覚者の霊を慰めるために建造された。

日本人墓地には、ハワイ移住の先鋒となり、明治から大正、昭和にかけて亡くなった人の墓があり、ハワイの日本人移民の縮図ともいえ、「ハワイ明治会」の会員らが中心となり、奉仕活動として墓地の清掃をしているため整然と護持されている。

敷地内には、「明治元年渡航者之碑」、「三界万霊碑」、「日本海軍軍人鎮魂碑」、「ハワイ日本人移民慰霊碑」など、先覚者の霊を慰める碑が建立されている。

マキキ日本人墓地は、海外に初めて出来た日本海軍墓地でもあり、明治9年、日本海軍創設当時の帝国海軍軍艦初代筑波二等若水夫の荒川又十朗ほか、明治32年までの没者16柱の英霊が埋葬されている。

先駆者に敬意を表し、霊を慰めるため、日本や地元の有志が中心となり、「日本海軍軍人鎮魂碑」と「明治元年渡航者の碑」が建立された。

日本海軍が日本海上自衛隊となった今でも、艦隊がホノルルに寄港する際には必ずこの地を訪れ、先人の参拝や献花を行っている。

また、1885年に初めて官約移民がハワイに移住して以来、この墓地や他所に合計289柱の無縁仏があり、お詣りや掃除をする人のない無縁仏は、次第に荒廃の一途を辿るようになった。

ハワイの日系人組織であるハワイ日系人連合協会(通称連協)は、先駆者たちの墓が荒廃していくのを懸念して、連協の会員やオアフ官約移民百年祭委員会が中心となり、無縁仏を集めて寄せ墓を建立することを決め、そのために約七万ドルの募金を集めた。

高さ約四メートルの花崗岩の寄せ墓碑は、岡山県から運ばれ、官約移民がハワイに到着した101周年に当る1986年2月8日に「ハワイ日本人移民慰霊碑」が建立された。この寄せ墓碑の下には、289柱が眠り、毎年、お盆の時期には、連協の会員らが中心となり供養が行われている。


西川幸夫 プロフィール

1939年生まれ、1961~1994年、新日本製鉄に勤務。北九州や欧州の風景をスケッチ・淡彩画で製作。
北九州でスケッチ・淡彩画教室「四季彩」を主宰。郵便局の官製はがき9シリーズでもおなじみ。他に「ふるさと12景」のカレンダー画をはじめ、書籍の表紙画や挿絵を手がけその仕事は広範囲にわたる。
現在、山口新聞に「長門101景」、ハワイのローカル情報誌イースト・ウェストジャーナルに「ホノルル点描101景」、佐賀市「市報さが」に[思いでの風景]を連載中。
著書に画集「北九州101景」、画集「寅さんが旅した風景」、画集「延岡やすらぎ101景」がある。
2008年6月出版予定の画集「新北九州101景」、2009年秋出版予定の松本清張生誕100年祭 画集「清張紀行101景」(仮称)を目指し取組み中。

第45回 ホノルル動物園

2008年08月03日 | オアフ島 オプショナルツアー ハワイで暮らす 

「ホノルル点描」画:西川幸夫 文章:イースト・ウエスト・ジャーナル永井雄治、榊原百合惠


第45回 カラカウア王の珍鳥収集から始まった「ホノルル動物園」

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ワイキキの東端に位置するホノルル動物園の土地は、かつて王族のものだったが、1874年から1891年まで即位したデイビッド・カラカウア王が、隣接した現在のカピオラニ公園を含む300エーカーの土地を1876年に市民に開放したのがホノルル動物園の始まり。

かつてこの一帯は、潟や養魚池のある沼地で、カラカウア王は、世界中から集めた珍しい鳥をこの場所で飼っていた。
カラカウア王のカピオラニ妃にちなみ、この場所は、1877年にカピオラニ公園と名付けられた。当時は珍鳥が目玉の公園で、カメハメハ・デーには、毎年恒例の「ロシタ・カップ」という競馬が行われた。

暫くして孔雀が仲間入りし、サンフランシスコのゴールデンゲート公園から譲られた樹木やヤシの木が植えられ、カラカウア大通りとカパフル通りにはトロリーが走るようになった。

この場所を恒久的に公園にすることが1896年に決まり、1914年からホノルル市郡政府が管理を始め、猿や熊、ライオンの子供なども仲間入りした。

1916年、蒸気船「ナイアガラ」が、オーストラリアから米本土の動物園やサーカスに動物を運ぶ途中、ハワイに立ち寄った。その中に、アフリカ象のデイジーがいて、当時カピオラニ公園管理者だったホリンジャー氏が市郡政府に購入を懇願し、ホノルル市郡政府のものとなった。

象のデイジーは、背中に子供を乗せて公園内を歩き、市民の人気者だったが、1933年、飼育係を踏みつけて殺したため警官に射撃され、海に葬られた。

1949年に、シマウマ、ダチョウ、エミュ、象、フタコブラクダ、猿、アシカ、亀などが加えられ、1974年には、ラクダ、象、チンパンジーが寄贈された。

現在、42エーカーのホノルル動物園には、324種類、約1,200匹の動物が集められ、年間75万人が訪れるハワイの人気スポットになっている。


西川幸夫 プロフィール

1939年生まれ、1961~1994年、新日本製鉄に勤務。北九州や欧州の風景をスケッチ・淡彩画で製作。
北九州でスケッチ・淡彩画教室「四季彩」を主宰。郵便局の官製はがき9シリーズでもおなじみ。他に「ふるさと12景」のカレンダー画をはじめ、書籍の表紙画や挿絵を手がけその仕事は広範囲にわたる。
現在、山口新聞に「長門101景」、ハワイのローカル情報誌イースト・ウェストジャーナルに「ホノルル点描101景」、佐賀市「市報さが」に[思いでの風景]を連載中。
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