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第40回 カメハメハ5世郵便局

2008年06月30日 | アート オアフ島 ハワイで暮らす 

「ホノルル点描」画:西川幸夫 文章:イースト・ウエスト・ジャーナル永井雄治、榊原百合惠

第40回 現存する米国最古の公共建造物「カメハメハ5世郵便局」


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 ホノルルのダウンタウンの一角、マーチャント通りとベセル通りの角の灰色の2階建の建物は、ハワイ初のコンクリート製建造物で、カメハメハ5世が建設を指示したハワイ初の郵便局であるため、通称「カメハメハ5世郵便局」と呼ばれている。

 カメハメハ5世は、建築設計者に、イギリス出身の熟練した煉瓦職人のJ・Gオズボーン氏を任命し、建設総工費に13,000ドルを投じた。オズボーン氏は、故郷のイギリス・ヨークシャー地方の「ルネッサンス・リバイバル様式」の建物を模してデザインした。

 建造の際に、鉄筋がコンクリート補強の為に使われたが、この建築方法は、当時ヨーロッパでは試験的に行われていたが、アメリカではまだ用いられていない方法だった。この建物の建設成功を機に、後にホノルルではコンクリートを使った建物建築が盛んになった。

 1871年3月、この建物の一角に郵便局が開局し、建物の他の部分は事務所として使われていたが、1894年に建物全体が郵便局となった。一時期、郵便局の窓口は、「女性」、「外人」、「ハワイアン」、「日本人」、「ポルトガル人」、「切手」に分かれており、建物の角の部分は、馬を繋ぐ場所に使われていた。郵便局の業務拡張により、1922年に近隣の連邦政府ビルに移り、この建物には分局のみが残った。

 以後様々な政府関係の事務所として使われたが、現在は、「クム・カフア・シアター」という劇場になっている。「カメハメハ5世郵便局」は、現存する米国最古の公共建造物であり、1972年、米国の歴史的建造物として指定され、1987年には、米国土木工学協会の歴史的土木工学名所に指定された。

西川幸夫 プロフィール

1939年生まれ、1961~1994年、新日本製鉄に勤務。北九州や欧州の風景をスケッチ・淡彩画で製作。
北九州でスケッチ・淡彩画教室「四季彩」を主宰。郵便局の官製はがき9シリーズでもおなじみ。他に「ふるさと12景」のカレンダー画をはじめ、書籍の表紙画や挿絵を手がけその仕事は広範囲にわたる。
現在、山口新聞に「長門101景」、ハワイのローカル情報誌イースト・ウェストジャーナルに「ホノルル点描101景」、佐賀市「市報さが」に[思いでの風景]を連載中。
著書に画集「北九州101景」、画集「寅さんが旅した風景」、画集「延岡やすらぎ101景」がある。
2008年6月出版予定の画集「新北九州101景」、2009年秋出版予定の松本清張生誕100年祭 画集「清張紀行101景」(仮称)を目指し取組み中。

第39 回 ホノルルハレ(市庁舎)

2008年06月23日 | アート オアフ島 ハワイで暮らす 

「ホノルル点描」画:西川幸夫 文章:イースト・ウエスト・ジャーナル永井雄治、榊原百合惠

第39回 スペイン様式の瓦が映える「ホノルルハレ」(市庁舎)


 
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 南キング通りとパンチボウル通りの角にあるホノルル市庁舎の「ホノルル・ハレ」 は、ジョセフ・J・ファーン初代ホノルル市長の構想により建設された。ホノルル 市郡政府の前身であるオアフ郡監督委員会は、1900年に創設されたが、委員会の会議室がなかったため、毎回違うダウンタウンの場所で会議を開いていた。

 当時、監督委員会の監督の一人だったファーン氏は、恒久的な市議会室が必要だという構想を持ち、建設の呼びかけを始めた。 1907年、オアフ郡監督委員会が改組となりホノルル市郡政府が創設され、ファーン氏が初代市長に選ばれた。ファーン市長は、ホノルル市庁舎の建設計画を押し進めたが、完成を見ずに、1920年に亡くなった。

 次に市長となったジョン・ウィルソン市長は、米国技師協会のハワイ支部長でもあり、ファーン前市長の建設計画を受け継いで工事を進め、当時流行したカリフォルニア・スペイン植民地様式を取り入れた今の「ホノルル・ハレ」が1928年に完成した。

 白い塔とオレンジ色の瓦屋根が特徴の「ホノルル・ハレ」は、1978年、ハワイ 州庁歴史地区の一環として、国から歴史的建造物に指定された。 現在「ホノルル・ ハレ」には、市長室と市議会室があり、市郡政府の関連事務所ビルは、少し東の南キング通りとアラパイ通りにある。

 毎年クリスマスシーズンには、「ホノルル・シティ・ライト」と称し、「ホノルル ・ハレ」の一角はクリスマスデコレーションで華やかに飾られる。 庁舎の前には、毎年巨大なクリスマスツリーが設置され、サンタクロースとサンタクロース夫人の人形もお目見えし、夜のライトアップを見るために遠くからわざわざ訪れる人もいる。

   

西川幸夫 プロフィール

1939年生まれ、1961~1994年、新日本製鉄に勤務。北九州や欧州の風景をスケッチ・淡彩画で製作。
北九州でスケッチ・淡彩画教室「四季彩」を主宰。郵便局の官製はがき9シリーズでもおなじみ。他に「ふるさと12景」のカレンダー画をはじめ、書籍の表紙画や挿絵を手がけその仕事は広範囲にわたる。
現在、山口新聞に「長門101景」、ハワイのローカル情報誌イースト・ウェストジャーナルに「ホノルル点描101景」、佐賀市「市報さが」に[思いでの風景]を連載中。
著書に画集「北九州101景」、画集「寅さんが旅した風景」、画集「延岡やすらぎ101景」がある。
2008年6月出版予定の画集「新北九州101景」、2009年秋出版予定の松本清張生誕100年祭 画集「清張紀行101景」(仮称)を目指し取組み中。

第38回 ハワイ・コンベンション・センター

2008年06月16日 | アート オアフ島 ハワイで暮らす 

「ホノルル点描」画:西川幸夫 文章:イースト・ウエスト・ジャーナル永井雄治、榊原百合惠

第38回 斬新なデザインが映える「ハワイ・コンベンション・センター」


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 カラカウア大通りとカピオラニ通りの角にある「ハワイ・コンベンション・センター」は、総工費3億5千万ドルを投じて、1997年10月に竣工し、1998年6月にオープンした。

 設計を担当したのは、「ウインバリー・アリソン・タン&グー」で、『ハワイを感じられる場所』をテーマに設計され、ハワイの建築様式や自然な景観に主眼を置き、周辺の環境や歴史・文化などにも配慮して建設された。

 四階建て、総ガラス張りの建物には49室の会議室があり、共有スペースや通路には、外からの新鮮な空気が流れ込むような構造になっており、随所にあしらわれた植物が南国らしい彩りを添えている。 開放的なガラス張りのロビーには、4階から流れ落ちる滝と椰子の木があり、空が透けて見える構造になっている。マルチレベル・エスカレーターからは、遠くの山々が綺麗に見渡せるほか、屋上庭園からは、海と山の両方が見渡せる。

 ビルの屋根には、古代ハワイに最初に辿り着いた双銅カヌーの帆を象徴する伸縮性のあるデザインが用いられ、ガラス張りの建物にアクセントを添えて いる。2001年、センターは、オアフ島に新たに設計された最優秀建造物 として、アメリカ建築学会ホノルル支部より「優秀賞」と「市長賞」が授与された。

 総収容人数約2万9千人のセンターには、六ヶ国語同時通訳設備や衛星通信対応設備、テレビ会議センター、ハイテク視聴覚シアターなどもあり、国際的にも最新ハイテク設備を完備した会議施設だと定評がある。館内随所には、200万ドルを投じてハワイの芸術家たちに委託した作品の数々が展示されている他、ハワイを拠点に世界的に活躍した芸術家の故ジーン・シャーロットのフレスコ画なども展示されており、美術館的な役割も果たしている。

 

西川幸夫 プロフィール

1939年生まれ、1961~1994年、新日本製鉄に勤務。北九州や欧州の風景をスケッチ・淡彩画で製作。
北九州でスケッチ・淡彩画教室「四季彩」を主宰。郵便局の官製はがき9シリーズでもおなじみ。他に「ふるさと12景」のカレンダー画をはじめ、書籍の表紙画や挿絵を手がけその仕事は広範囲にわたる。
現在、山口新聞に「長門101景」、ハワイのローカル情報誌イースト・ウェストジャーナルに「ホノルル点描101景」、佐賀市「市報さが」に[思いでの風景]を連載中。
著書に画集「北九州101景」、画集「寅さんが旅した風景」、画集「延岡やすらぎ101景」がある。
2008年6月出版予定の画集「新北九州101景」、2009年秋出版予定の松本清張生誕100年祭 画集「清張紀行101景」(仮称)を目指し取組み中。

第37回 マキキ聖城キリスト教会

2008年06月09日 | アート オアフ島 ハワイで暮らす 

「ホノルル点描」画:西川幸夫 文章:イースト・ウエスト・ジャーナル永井雄治、榊原百合惠

第37回 高知城をモデルにした「マキキ聖城キリスト教会」


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 ホノルル市内のほぼ中央、ペンサコーラ街と南キング街角近くに天守閣もある堂々たる日本のお城が見える。

 「実はあれはキリスト教会の建物」ですよと、初めて教えられた人は誰もが驚く。ハワイに日本のお城があることと、それが教会の建物と知って、これまでの常識をくつがえされるからだろう。このお城は1932年に、高知城をモデルにして建てられた。どうして教会の建物がお城の形をしているのか、黒田 朔(さく)牧師は次のように説明している。

「約100年前の1904年にマキキ教会を建てた奥村多喜衛牧師は、日本人の移民社会に大きな貢献をした方です。初期の移民は、低賃金と過酷な労働のためお酒や賭博で生活は荒廃を極めていたようです。奥村牧師はよりよい労働条件を獲得するためには小銭をためて日本へ帰る3年契約の出稼ぎ根性を捨て、地元に役立つ働き手となることだと二世教育の力を注ぎ、日本人幼稚園、日本語学校を始め、高等教育を受けられるようにと寄宿舎『奥村ホーム』を開きました。

 さらに、1900年、ホノルルに流行したペスト対策として日本人慈善病院開設にも貢献し、今のクアキニ病院が誕生したのです。高知城をモデルにした教会堂建設は元土佐藩藩士であった奥村牧師が苦しい移民生活を送る人々に『神はわが城なり』との聖書のメッセージを建物を通して伝え、また、お世話になっているホノルルの街に美観を添えたいとの願いの故でした。奥村牧師は日米摩擦を回避するために米化運動を展開しますが、残念ながら、戦争に突入します。開戦直後に申し入れたエモンス司令官との面談により二世部隊100大隊誕生のきっかけが出来たのです」。

 

西川幸夫 プロフィール

1939年生まれ、1961~1994年、新日本製鉄に勤務。北九州や欧州の風景をスケッチ・淡彩画で製作。
北九州でスケッチ・淡彩画教室「四季彩」を主宰。郵便局の官製はがき9シリーズでもおなじみ。他に「ふるさと12景」のカレンダー画をはじめ、書籍の表紙画や挿絵を手がけその仕事は広範囲にわたる。
現在、山口新聞に「長門101景」、ハワイのローカル情報誌イースト・ウェストジャーナルに「ホノルル点描101景」、佐賀市「市報さが」に[思いでの風景]を連載中。
著書に画集「北九州101景」、画集「寅さんが旅した風景」、画集「延岡やすらぎ101景」がある。
2008年6月出版予定の画集「新北九州101景」、2009年秋出版予定の松本清張生誕100年祭 画集「清張紀行101景」(仮称)を目指し取組み中。

第36回 アメリカ陸軍博物館

2008年06月02日 | アート オアフ島 ハワイで暮らす 

「ホノルル点描」画:西川幸夫 文章:イースト・ウエスト・ジャーナル永井雄治、榊原百合惠

第36回 かつての砲台跡に設立された「アメリカ陸軍博物館」

 
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 ワイキキのフォート・デルッシー公園の一角にある「アメリカ陸軍博物館」は、第一次世界大戦からベトナム戦争までのハワイの軍事の役割に敬意を表して一1975年に創設されたものである。

 この地の歴史は20世紀初頭にさかのぼる。1906年、真珠湾やホノルルを防衛するためにホノルル沿岸に砲台を設け、6台の12インチの大砲、4台の6インチの大砲、16台の12インチの臼砲を設置する計画が出された。

 1909年に砲台の建設が始まったが、途中で計画が変更され、ランドルフ砲台 (現在この陸軍博物館がある場所)には、2台の14インチの大砲が設置されることになり、1911年に砲台が完成。 砲弾の直撃にも耐えられる分厚いコンク リートの要塞も設置された。

 1914年、ランドルフ砲台から初めて砲弾が試射された。 陸軍はワイキキ住民に試射の予告をせずに発射させたため、近所の家ではガラスにひびが入ったり、食器などがガタガタいったりしたという。このため、その後はあまり試射されることはなかった。

 1950年6月28日、アメリカ陸軍により沿岸砲兵隊が公式に解散され、フォート・デルッシーに設置された大砲は解体して鉄くずとなり、敷地はアメリカ 陸軍レクリエーション地区となった。

 1970年代に歴史家のワレン・セスラーが中心となり、砲台のあった場所に「アメリカ陸軍博物館」創設案が持ち上がり、ワイキキの第一次世界大戦記念館から2つの大砲を譲り受け、以前の砲台に設置された。

 現在館内には、ランドルフ砲台、第二次世界大戦、朝鮮戦争、ベトナム戦争など、これまでのハワイの軍事の歴史を物語る様々な展示物が常設されている。 また、建物の前には本物のアメリカ軍の戦車と日本軍の戦車も設置されている。

 

西川幸夫 プロフィール

1939年生まれ、1961~1994年、新日本製鉄に勤務。北九州や欧州の風景をスケッチ・淡彩画で製作。
北九州でスケッチ・淡彩画教室「四季彩」を主宰。郵便局の官製はがき9シリーズでもおなじみ。他に「ふるさと12景」のカレンダー画をはじめ、書籍の表紙画や挿絵を手がけその仕事は広範囲にわたる。
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著書に画集「北九州101景」、画集「寅さんが旅した風景」、画集「延岡やすらぎ101景」がある。
2008年6月出版予定の画集「新北九州101景」、2009年秋出版予定の松本清張生誕100年祭 画集「清張紀行101景」(仮称)を目指し取組み中。