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第34回 パンチボウル

2008年05月18日 | アート オアフ島 ハワイで暮らす 

「ホノルル点描」画:西川幸夫 文章:イースト・ウエスト・ジャーナル永井雄治、榊原百合惠

第34回 国立太平洋記念墓地の「パンチボウル」

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 マキキにある死火山「パンチボウル」は、今から75,000年から100,000年前の火山活動により形成されたカルデラだと言われている。 その形がフルーツパンチなどを入れるボウルに似ていることからパンチボウルと名付けられた。

 ハワイ語では、プウオワイナ(生けにえの丘)と呼ばれ、パンチボウルは、かつて生けにえを神に捧げたり、タブーを犯した者を処刑する祭壇として使われたことに由来している。

 1948年2月、米議会は、パンチボウルを米軍戦没者を追悼する国立墓地にすることを可決し、1949年1月より、グァム、ウェーク島、日本の捕虜収容所などに埋葬されていた戦没者の遺骨がパンチボウルに埋葬された。

 同年9月2日、パンチボウルは、第一次世界大戦、第二次世界大戦、朝鮮戦争、ベトナム戦争で戦死した兵士、34,000人の「国立太平洋記念墓地」と して創建された。 墓地に最初に埋葬されたのは、英雄的な従軍記者のアーニィ・パイル氏で、戦地の状況を克明にレポートし、その記事は広く読まれた。 彼は1945年、沖縄の西の伊江島で戦死し、彼の墓石(墓石番号D109) には、今でも多くのアメリカ人が敬意を表して訪れる。

 第二次世界大戦中の1942年、日系2世だけの第100大隊と第442大隊が編成され、1944年にイタリア前線で戦ったが、パンチボウルには、この時戦った多くの日系兵士も埋葬されている。 日系兵士は、アメリカへの忠誠を示すために必死の突撃を行い、第二次世界大戦中、米軍の中で最も戦果をあげ、多くの勲章を受けた。 一方、戦死者は614人、負傷者は4,500人に及び、トルーマン大統領は、「敵に勝っただけでなく、偏見にも打ち勝った」と日系兵士の活躍を讃えた。

 1966年、パンチボウルの正面には女王像が建立され、1976年には、国の歴史的建造物として指定された。 現在パンチボウルには、軍人だけでな く、故スパーク松永上院議員、ハワイ初の宇宙飛行士の故エリソン鬼塚氏など、44,000人以上の魂が眠っている。

西川幸夫 プロフィール

1939年生まれ、1961~1994年、新日本製鉄に勤務。北九州や欧州の風景をスケッチ・淡彩画で製作。
北九州でスケッチ・淡彩画教室「四季彩」を主宰。郵便局の官製はがき9シリーズでもおなじみ。他に「ふるさと12景」のカレンダー画をはじめ、書籍の表紙画や挿絵を手がけその仕事は広範囲にわたる。
現在、山口新聞に「長門101景」、ハワイのローカル情報誌イースト・ウェストジャーナルに「ホノルル点描101景」、佐賀市「市報さが」に[思いでの風景]を連載中。
著書に画集「北九州101景」、画集「寅さんが旅した風景」、画集「延岡やすらぎ101景」がある。
2008年6月出版予定の画集「新北九州101景」、2009年秋出版予定の松本清張生誕100年祭 画集「清張紀行101景」(仮称)を目指し取組み中。