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第32回 ハワイ出雲大社

2008年05月05日 | アート オアフ島 

「ホノルル点描」画:西川幸夫 文章:イースト・ウエスト・ジャーナル永井雄治、榊原百合惠

第32回 今年鎮座百周年を迎える「ハワイ出雲大社」

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 ホノルル市内ダウンタウンのククイ通りとヌウアヌ川の角にあるハワイ出雲大社は、神道の一教派である出雲大社教の教派神道の神社で、他の日系団体に類を見ない様々な経緯を経ている。

 宮王勝良初代宮司は、1906年に広島県からハワイに移住し、同年9月6日に、島根県の出雲大社からの援助を一切受けずに仮社殿を造り、布教を始 めた。 1935年、勝良宮司没後は、子息の重丸宮司が二代目として後を継ぎ、出雲大社は、民衆の集会所としての役割も果たしていた。

 第二次世界大戦中、危険人物とされる仏教僧、神道宮司、日本人ビジネスマンなどのブラックリストが内密に作られており、勝良宮司の家族もこのリス トに載っていた。 日本軍による真珠湾攻撃の後、勝良初代宮司の妻と重丸二 代目宮司夫妻は、サンドアイランドの収容所に強制収容され、後に本土の収容所に送られた。

 宮司不在となった出雲大社は閉鎖せざるを得なかった。宮司や首席役員不在のまま、残りの役員たちは、出雲大社教団を解散することを政府の役人から 強制され、教団資産をホノルル市郡政府に寄贈した。 終戦後、宮王宮司一家は、本土の収容所から、社殿も住宅も無くなったハワイに戻った。 1946年にヤング通りの倉庫を借り、その半分を一家5人の住宅とし、残り半分に 仮社教を創設し、40席の椅子を設けた。

 1952年、教団役員は、ホノルル市郡政府に出雲大社の返還を嘆願し、市議会は満場一致で返還を決めたが、公園娯楽局の元職員たちが返還阻止の訴訟を起こした。1952年から1961年まで9年間、法廷闘争が続けられたが、ホノルル巡回裁判所は、教団資産を出雲大社に返還することを最終判決とした。 翌年より改修工事の募金活動を始め、修復が完了した1978年まで続けられた。

 当初の出雲大社は、現在よりリリハ寄りのパラマ再開発地区にあったが、現在の地所と1ドルで交換された。同年12月には、御神体をヤング通りの仮 社殿から現在地に移転した。 1969年の正月から初詣や七五三などの行事が行われており、現在は、天野大也宮司がハワイ出雲大社の宗教行事を司っている。 今年は、鎮座百周年を迎え、10月7日に100周年記念祭が盛大に行われる。

西川幸夫 プロフィール

1939年生まれ、1961~1994年、新日本製鉄に勤務。北九州や欧州の風景をスケッチ・淡彩画で製作。
北九州でスケッチ・淡彩画教室「四季彩」を主宰。郵便局の官製はがき9シリーズでもおなじみ。他に「ふるさと12景」のカレンダー画をはじめ、書籍の表紙画や挿絵を手がけその仕事は広範囲にわたる。
現在、山口新聞に「長門101景」、ハワイのローカル情報誌イースト・ウェストジャーナルに「ホノルル点描101景」、佐賀市「市報さが」に[思いでの風景]を連載中。
著書に画集「北九州101景」、画集「寅さんが旅した風景」、画集「延岡やすらぎ101景」がある。
2008年6月出版予定の画集「新北九州101景」、2009年秋出版予定の松本清張生誕100年祭 画集「清張紀行101景」(仮称)を目指し取組み中。