第30回 ハワイ王朝最後の女王「リリウオカラニ女王像」
イオラニ宮殿とハワイ州庁舎の間の巨大なバニヤンの木を背に、州庁舎に向って立っているリリウオカラニ女王像は、1982年4月、同地に建立された。 1838年にホノルルで生まれたリリウオカラニは1860年、米国出身の白人で、後にオアフ島知事となるジョン・ドミニスと結婚した。
1873年、カメハメハ五世が死去して直系が途絶え、後を継いだルナリロ王も翌年死去したので、血縁者の中からリリウオカラニの兄のカラ カウアが選ばれて即位した。 1891年、カラカウア王がサンフランシスコで死去後、リリウオカラニが第8代女王として即位した。 リリウオカラニ女王は、共和制派が強まる中、ハワイ王政を強める新憲法草案を閣議に提出したが却下された。
反乱で捕らえられた約200人の命と引き換えに、女王は女王廃位を強制 され、ハワイ王国は終焉を迎え、リリウオカラニ女王はハワイ王国最後の女王となった。 リリウオカラニ女王は、音楽の才能があり、「アロハ ・オエ」をはじめ、生涯に約150曲もの曲を作曲している。
「アロハ・オエ」は、恋人が名残りを惜しみながら別れることを歌った 曲だったが、女王がハワイ王国を失った悲しみの歌として象徴されるようになった。 平民となったリリウオカラニは、その後も元女王としてハワイ市民に敬愛されながら、余生をワシントンプレースで過ごしたが、1917年、79才で亡くなった。
州議会では、リリウオカラニ女王像を、彼女に相応しいイオラニ宮殿側に移す案がこれまで何度か出されたが、実現には至っていない。 銅像の女王の手には、女王が作詞作曲した「アロハ・オエ」の楽譜と、彼女が 英訳したハワイ創世記といわれる「クムリポ」が握られており、ハワイ の始まりと終焉を暗示しているといわれている。
西川幸夫 プロフィール
1939年生まれ、1961~1994年、新日本製鉄に勤務。北九州や欧州の風景をスケッチ・淡彩画で製作。
北九州でスケッチ・淡彩画教室「四季彩」を主宰。郵便局の官製はがき9シリーズでもおなじみ。他に「ふるさと12景」のカレンダー画をはじめ、書籍の表紙画や挿絵を手がけその仕事は広範囲にわたる。
現在、山口新聞に「長門101景」、ハワイのローカル情報誌イースト・ウェストジャーナルに「ホノルル点描101景」、佐賀市「市報さが」に[思いでの風景]を連載中。
著書に画集「北九州101景」、画集「寅さんが旅した風景」、画集「延岡やすらぎ101景」がある。
2008年6月出版予定の画集「新北九州101景」、2009年秋出版予定の松本清張生誕100年祭 画集「清張紀行101景」(仮称)を目指し取組み中。