1. アロハストリートTOP
  2. ホノルル点描
  3. 2008年4月
  1. 文字の大きさ
  2.  
  3. |
  4. |





カレンダー

<< 2008年4月 >>

    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30      

新着記事

第31回 平等院
(2008年04月21日)
第30回 リリウオカラニ女王像
(2008年04月15日)
第29回 ミッション・ハウス博物館
(2008年04月07日)


カテゴリーから選ぶ

  1. オアフ島
    1. アート
    2. オプショナルツアー
    3. サービス
    4. ショッピング
    5. ビューティー
    6. ホテル
    7. レストラン
    8. 学校、教室
  2. ハワイで暮らす
  3. ハワイ島・ネイバー
  4. 日本で楽しむ
 


RSS

第31回 平等院

2008年04月21日 | アート オアフ島 ハワイで暮らす 

「ホノルル点描」画:西川幸夫 文章:イースト・ウエスト・ジャーナル永井雄治、榊原百合惠

第31回 コオラウ山脈麓のハワイの「平等院」

 
byodoin.jpg
 カネオヘのコオラウ山脈の麓にあるハワイの平等院は、明治元年にやってきた149人の元年ものといわれている日系移民から100周年を記念して、1968年6月7日に京都府宇治市にある平等院鳳凰堂を模して建立された。

 京都・宇治の平等院は、9世紀末頃、光源氏のモデルともいわれる源融(みなもとのとおる)の別荘だったものが宇多天皇に譲られ、天皇の孫の源重信を経て、関白藤原道長の別荘「宇治殿」となった。 道長没後、その息子の関白藤原頼通が、1027年に宇治 殿を寺に委譲し、これが平等院の元になった。 創建時の本堂は、大日如来を本尊としていたが、1053年には、西方極楽浄土を模したといわれる阿弥陀堂(現鳳凰堂)が建立された。

 平等院には、鳳凰堂以外にもいくつかの堂塔が建立されたが、度重なる災害により崩壊 し、鳳凰堂のみが奇跡的に災害を免れて残っている。17世紀以降、平等院は浄土宗と天台宗を兼ねた寺だったが、現在は特定の宗派に属さない仏教寺院となり、国宝文化財として指定されているほか、世界遺産にも登録され、10円硬貨のデザインにもなっている。

 ハワイの平等院も特定の宗教に属さない寺院として、「ヴァレー・オブ・ザ・テンプル ズ・メモリアル・パーク」内に建立された。縮尺は、日本の平等院よりやや小さく、日本から取り寄せた瓦以外は、資材や大工は全て現地調達され、約2年間かけて建造された。

 本堂には、宇治平等院の本尊を模した木造阿弥陀如来座像があり、敷地内には、宇治平等院の梵鐘を模して大阪で鋳造された鐘のある鐘楼や茶室がある。 広い日本庭園には孔雀が放し飼いにされ、池には鯉が泳いでいる。 コオラウ山脈を背に建つ平等院は、ハワイで日本を感じられる静寂の場所となっている。

西川幸夫 プロフィール

1939年生まれ、1961~1994年、新日本製鉄に勤務。北九州や欧州の風景をスケッチ・淡彩画で製作。
北九州でスケッチ・淡彩画教室「四季彩」を主宰。郵便局の官製はがき9シリーズでもおなじみ。他に「ふるさと12景」のカレンダー画をはじめ、書籍の表紙画や挿絵を手がけその仕事は広範囲にわたる。
現在、山口新聞に「長門101景」、ハワイのローカル情報誌イースト・ウェストジャーナルに「ホノルル点描101景」、佐賀市「市報さが」に[思いでの風景]を連載中。
著書に画集「北九州101景」、画集「寅さんが旅した風景」、画集「延岡やすらぎ101景」がある。
2008年6月出版予定の画集「新北九州101景」、2009年秋出版予定の松本清張生誕100年祭 画集「清張紀行101景」(仮称)を目指し取組み中。

第30回 リリウオカラニ女王像

2008年04月15日 | アート オアフ島 ハワイで暮らす 

「ホノルル点描」画:西川幸夫 文章:イースト・ウエスト・ジャーナル永井雄治、榊原百合惠

第30回 ハワイ王朝最後の女王「リリウオカラニ女王像」

lili.jpg
 イオラニ宮殿とハワイ州庁舎の間の巨大なバニヤンの木を背に、州庁舎に向って立っているリリウオカラニ女王像は、1982年4月、同地に建立された。 1838年にホノルルで生まれたリリウオカラニは1860年、米国出身の白人で、後にオアフ島知事となるジョン・ドミニスと結婚した。

 1873年、カメハメハ五世が死去して直系が途絶え、後を継いだルナリロ王も翌年死去したので、血縁者の中からリリウオカラニの兄のカラ カウアが選ばれて即位した。 1891年、カラカウア王がサンフランシスコで死去後、リリウオカラニが第8代女王として即位した。 リリウオカラニ女王は、共和制派が強まる中、ハワイ王政を強める新憲法草案を閣議に提出したが却下された。

 反乱で捕らえられた約200人の命と引き換えに、女王は女王廃位を強制 され、ハワイ王国は終焉を迎え、リリウオカラニ女王はハワイ王国最後の女王となった。 リリウオカラニ女王は、音楽の才能があり、「アロハ ・オエ」をはじめ、生涯に約150曲もの曲を作曲している。

 「アロハ・オエ」は、恋人が名残りを惜しみながら別れることを歌った 曲だったが、女王がハワイ王国を失った悲しみの歌として象徴されるようになった。 平民となったリリウオカラニは、その後も元女王としてハワイ市民に敬愛されながら、余生をワシントンプレースで過ごしたが、1917年、79才で亡くなった。

 州議会では、リリウオカラニ女王像を、彼女に相応しいイオラニ宮殿側に移す案がこれまで何度か出されたが、実現には至っていない。 銅像の女王の手には、女王が作詞作曲した「アロハ・オエ」の楽譜と、彼女が 英訳したハワイ創世記といわれる「クムリポ」が握られており、ハワイ の始まりと終焉を暗示しているといわれている。

西川幸夫 プロフィール

1939年生まれ、1961~1994年、新日本製鉄に勤務。北九州や欧州の風景をスケッチ・淡彩画で製作。
北九州でスケッチ・淡彩画教室「四季彩」を主宰。郵便局の官製はがき9シリーズでもおなじみ。他に「ふるさと12景」のカレンダー画をはじめ、書籍の表紙画や挿絵を手がけその仕事は広範囲にわたる。
現在、山口新聞に「長門101景」、ハワイのローカル情報誌イースト・ウェストジャーナルに「ホノルル点描101景」、佐賀市「市報さが」に[思いでの風景]を連載中。
著書に画集「北九州101景」、画集「寅さんが旅した風景」、画集「延岡やすらぎ101景」がある。
2008年6月出版予定の画集「新北九州101景」、2009年秋出版予定の松本清張生誕100年祭 画集「清張紀行101景」(仮称)を目指し取組み中。

第29回 ミッション・ハウス博物館

2008年04月07日 | アート オアフ島 ハワイで暮らす 

「ホノルル点描」画:西川幸夫 文章:イースト・ウエスト・ジャーナル永井雄治、榊原百合惠

第29回 ハワイ最古の木造建築「ミッション・ハウス博物館」

sketch.jpg
 ホノルル最古のイギリス国教会「カワイハオ教会」の隣にあるミッション・ハウスの歴史は、1820年にさかのぼる。 ミッション・ハウス(宣教師団の家)という名が示すように、この場所は、アメリカ東部から来た最初のプロテスタント宣教師が生活していた場所である。

 宣教師団は、建築資材をボストンから南米最南端のホーン岬経由で輸送し、医者や印刷師を含む宣教師一団の住宅や作業所をこの地に建てた。 ニューイングランド地方特有の、雪落しがしやすい急勾配の三角屋根に、防寒を考慮した小さい窓の建築で、ハワイには不釣り合いだったが、これがハワイ最初の木造住宅となった。

 宣教師団は、隣のカワイハオ教会の設計デザインをし、ハワイの人たちと共に壁材に珊瑚礁を用いた教会を1942年に完成した。 敷地内には、ハワイ初の印刷所もあり、ハワイ語や英語で聖書に関する小冊子や案内などが刷られた。 この地に建てられた住宅や作業所、倉庫を保存し、一般に公開することを目的として、1920年にこの一角をミッション・ハウス博物館としてオープンした。

 博物館には、宣教師たちが造ったり、寄贈された家具や調度品、道具や日用品など、約三千点が保管され、当時の生活が偲べるように展示されている。 玄関から 一歩家の中に入ると、タイムマシンに乗って十九世紀のハワイの家に迷い込んだような感じがし、居間、台所、書斎、寝室などを巡りながら、当時の生活を垣間見ることが出来る。 また、作業所の一室には、当時使われていた印刷機の複製が置かれている。

 館内の図書館には、19世紀に書かれた手紙、日記、手記、古書など、約12,000点の蔵書があり、予約をすれば一般の人でも見ることが出来る。 宣教師の妻た ちは、パッチワークの作り方を人々に教えていたが、それが後に、ハワイ独自のパッチワーク手法、ハワイアンキルトを生み出すきっかけとなった。 ハワイアンキルト発祥の地にちなみ、ギャラリーでは、宣教師時代から現代にいたるハワイ アンキルトや版画などの展覧会が随時開催されている。

 また、売店では、キルト素材や書籍、絵葉書、ハワイ製品なども販売されている。ミッション・ハウス博物館は、火曜日から土曜日の午前十時から午後四時まで開館。 水曜日の午前十一時と午後二時半、金曜日の午後二時半には日本語によるガイドツアーが行われている。

西川幸夫 プロフィール

1939年生まれ、1961~1994年、新日本製鉄に勤務。北九州や欧州の風景をスケッチ・淡彩画で製作。
北九州でスケッチ・淡彩画教室「四季彩」を主宰。郵便局の官製はがき9シリーズでもおなじみ。他に「ふるさと12景」のカレンダー画をはじめ、書籍の表紙画や挿絵を手がけその仕事は広範囲にわたる。
現在、山口新聞に「長門101景」、ハワイのローカル情報誌イースト・ウェストジャーナルに「ホノルル点描101景」、佐賀市「市報さが」に[思いでの風景]を連載中。
著書に画集「北九州101景」、画集「寅さんが旅した風景」、画集「延岡やすらぎ101景」がある。
2008年6月出版予定の画集「新北九州101景」、2009年秋出版予定の松本清張生誕100年祭 画集「清張紀行101景」(仮称)を目指し取組み中。