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第28回 コンテンポラリー美術館

2008年03月31日 | アート オアフ島 

「ホノルル点描」画:西川幸夫 文章:イースト・ウエスト・ジャーナル永井雄治、榊原百合惠

第28回 近代美術と共に広大な庭園も楽しめる「コンテンポラリー美術館」

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 マキキ・ハイツの住宅地にあるコンテンポラリー美術館は、1925年に、実業家のチャールズ・モンタギュー・クック氏の妻だったアナ・ライス・クック夫人の住宅として建てられた。

 クック夫人は、それまで現在「ホノルル・アカデミー・オブ・アート」となっている建物に住んでいたが、建物を同美術館に寄贈したのを機に、当地に住宅を建設した。 1968年、クック夫人の娘のアリス・スパルディングさんは、建物を「ホノルル・アカデミー・オブ・アート」に遺贈し、その後1970年代にいくつかのデベロッパーの手を経て、「ホノルル・アドバタイザー社」の子会社の手に移った。

 1986年、その会社の所有者であったトゥウィーグ・スミス家は、敷地と建物をコンテンポラリー美術館設立のために寄贈し、2年後の1988年、コンテンポラリー美術館が開館した。 コンテンポラリー美術館は、ハワイ州 唯一の近代美術専門の美術館で、館内には常設展示物と共に、期間限定の近代美術展覧会が常時開催されている。

 敷地内には、牧師でもあり庭園設計士でもあったKH稲垣牧師が設計した広大な庭があり、「彫刻と瞑想の庭」や「熱帯植物のテラス」と名付けられた 庭園の他、小径などが『自然との調和』をテーマに造られている。 別棟の「ミルトン・ケイデス・パビリオン」には、アメリカの著名芸術家、デイビッド・ホックニーが、1983年に制作した「子供と魅惑」という子供から大人まで楽しめる劇場のような立体作品がある。

 コンテンポラリー美術館には、この他に、図書館、売店、カフェなどがあり、ゆったりとした雰囲気の中で近代美術を楽しめる場所となっている。 また、ダウンタウンのビショップ通りと南キング通りの角にある「ファースト・ハワ イアン・センター」には、コンテンポラリー美術館の別館がある。

西川幸夫 プロフィール

1939年生まれ、1961~1994年、新日本製鉄に勤務。北九州や欧州の風景をスケッチ・淡彩画で製作。
北九州でスケッチ・淡彩画教室「四季彩」を主宰。郵便局の官製はがき9シリーズでもおなじみ。他に「ふるさと12景」のカレンダー画をはじめ、書籍の表紙画や挿絵を手がけその仕事は広範囲にわたる。
現在、山口新聞に「長門101景」、ハワイのローカル情報誌イースト・ウェストジャーナルに「ホノルル点描101景」、佐賀市「市報さが」に[思いでの風景]を連載中。
著書に画集「北九州101景」、画集「寅さんが旅した風景」、画集「延岡やすらぎ101景」がある。
2008年6月出版予定の画集「新北九州101景」、2009年秋出版予定の松本清張生誕100年祭 画集「清張紀行101景」(仮称)を目指し取組み中。


第27回 フォスター・ボタニカル・ガーデン

2008年03月24日 | アート オアフ島 ハワイで暮らす 

「ホノルル点描」画:西川幸夫 文章:イースト・ウエスト・ジャーナル永井雄治、榊原百合惠

第27回 1万種以上の植物がある街中の植物園 「フォスター・ボタニカル・ガーデン」

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 ホノルルダウンタウンに近いヌウアヌ通りとヴィニヤード大通りの角にある 「フォスター・ボタニカル・ガーデン」。 その歴史は、1853年にドイツ人の医者であり植物学者のウィリアム・ヒレブランド氏が、クイーン・カラマから土地を借り受けたことにさかのぼる。

 ヒレブランド夫妻は、現在の植物園のフリーウェイ側に住居を構え、庭に樹木を植えた。 現在植物園で見られる巨木は、ヒレブランド氏によって植えられたものである。 20年後、ヒレブランド夫妻はドイツに帰国することにな り、地所はトーマス・フォスター夫妻に売却され、庭園はさらに整えられた。

 フォスター夫人の没後、地所は公園としてホノルル市郡政府に移譲され、1年後の1930年に「フォスター・ボタニカル・ガーデン」として開園した。 初代園長のハロルド・ライオン博士は、植物園の充実を目指し、27年の在職中に約1万種類の植物を植えた。 現在ある蘭園は、ライオン博士が彼自身のコレクションとして集めたものを拡充させたものである。

 その後植物園は、2代目園長のポール・ウェイシック氏により整備拡張され、1989年より3代目園長のマイケル・クリステンセン氏が引き継ぎ、1999年より、現在のヘイディ・ボーンホースト4代目園長が管理している。

 「フォスター・ボタニカル・ガーデン」は、150年以上に亘り、市民の憩いの場となっているが、特に現在は、都会の喧噪の中の静かな植物園として人気がある。 オアフ島には、現在100本以上の木が「銘木」として指定されているが、その内の25本が「フォスター植物園」にある。

 敷地内には、椰子類、しだ類、先史植物、有毒植物の園のほか、スパイス園、ハーブ園などがあり、ハワイの固有種や土着種、世界の珍しい植物や絶滅に瀕している植物も大事に育てられている。 オアフ島には、この他に「リリウ オカラニ・ボタニカル・ガーデン」、「ココ・クレーター・ボタニカル・ガ ーデン」、「ホオマルヒア・ボタニカル・ガーデン」、「ワヒアワ・ボタニ カル・ガーデン」の公立植物園がある。 マノアには、ライオン博士が森林保護のために植林をし、農業試験場としてスタートした「ライオン樹木園」があり、園内にはハワイの固有種や珍しい植物が集められている。

西川幸夫 プロフィール

1939年生まれ、1961~1994年、新日本製鉄に勤務。北九州や欧州の風景をスケッチ・淡彩画で製作。
北九州でスケッチ・淡彩画教室「四季彩」を主宰。郵便局の官製はがき9シリーズでもおなじみ。他に「ふるさと12景」のカレンダー画をはじめ、書籍の表紙画や挿絵を手がけその仕事は広範囲にわたる。
現在、山口新聞に「長門101景」、ハワイのローカル情報誌イースト・ウェストジャーナルに「ホノルル点描101景」、佐賀市「市報さが」に[思いでの風景]を連載中。
著書に画集「北九州101景」、画集「寅さんが旅した風景」、画集「延岡やすらぎ101景」がある。
2008年6月出版予定の画集「新北九州101景」、2009年秋出版予定の松本清張生誕100年祭 画集「清張紀行101景」(仮称)を目指し取組み中。


第26回 セントラルユニオン教会

2008年03月17日 | アート オアフ島 ハワイで暮らす 

「ホノルル点描」画:西川幸夫 文章:イースト・ウエスト・ジャーナル永井雄治、榊原百合惠

第26回 船員組合教会としてスタートした「セントラルユニオン教会」

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 セントラルユニオン教会の前身は、1833年に米国船員仲間協会により、船員のための「船員教会」としてホノルル港近くに設立された。 捕鯨船や交易船などが増え、教会を訪れる人が増えるにつれ、別の教会の必要性が 生まれ、「船員教会」の一部の信者たちは、「フォート・ストリート教会」として独立した。

 船員組合の本部でもあった「船員教会」は、「船員組合教会」と改めたが、1886年、チャイナタウンの火事により焼け落ち、建物を失った「船員組合教会」と「フォート・ストリート教会」を統合しようという動きが生まれ、1887年に、「セントラルユニオン教会」が337名の信者により発足した。

 「セントラルユニオン」という名前は、二つの教会を統合した組合(ユニオン)の中心的(セントラル)な教会という意味合いがある。 1892年、「セントラルユニオン教会」は、ワシントンプレイスの向いに移転したが、増え続ける信者や周囲の騒音などにより、1920年に現在のプナホウ通りとベレタニア通りの角に移転した。

 この場所には、傑出した事業家のBFディリンハム氏の住居と牧場があったが、彼の未亡人となったエマ・ルイーズ夫人が、「船員組合教会」時代からの信者だったので土地を教会に売却し、1924年に、現在のニューイングランド式の教会が建てられた。 敷地内には、高い尖塔のある大聖堂と、ひと回り小さい中聖堂があり、ベレタニア通り側の広い芝生は、牧場の名残りである。

西川幸夫 プロフィール

1939年生まれ、1961~1994年、新日本製鉄に勤務。北九州や欧州の風景をスケッチ・淡彩画で製作。
北九州でスケッチ・淡彩画教室「四季彩」を主宰。郵便局の官製はがき9シリーズでもおなじみ。他に「ふるさと12景」のカレンダー画をはじめ、書籍の表紙画や挿絵を手がけその仕事は広範囲にわたる。
現在、山口新聞に「長門101景」、ハワイのローカル情報誌イースト・ウェストジャーナルに「ホノルル点描101景」、佐賀市「市報さが」に[思いでの風景]を連載中。
著書に画集「北九州101景」、画集「寅さんが旅した風景」、画集「延岡やすらぎ101景」がある。
2008年6月出版予定の画集「新北九州101景」、2009年秋出版予定の松本清張生誕100年祭 画集「清張紀行101景」(仮称)を目指し取組み中。


第25回 ワイキキの松並木

2008年03月05日 | アート オアフ島 ハワイで暮らす 

「ホノルル点描」画:西川幸夫 文章:イースト・ウエスト・ジャーナル永井雄治、榊原百合惠

第25回 ホノルルマラソンのゴール「ワイキキの松並木」

 
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 ワイキキのホノルル動物園前からニューオータニ・カイマナ・ビーチホテルあたりまでのカラカウア通りの両側に高く伸びた松並木がみられる。 この松並木は、カピオラニ公園を開発するために、その工事の一端として1890年(明治23年)に植えられたものである。 植林されて数年後と見られる古写真によると、当時は今のカラカウア通りが細い川で、堤に沿って両岸に植えられており、護岸の意味があったようだ。

 この木、松といっても日本の松と違って、非常に成長の早いシュガー・パイン、通称「メ リケン松」と呼ばれる種類のものだ。この地の他にも市内で散見できるから当時、競って植林されたのかも知れない。 この松並木の植樹を発案したのは実業家のアーチボルド・クレグホーンで、工事現場の監督は1868年(明治元年)にハワイにやって来た元年者のひとりである小沢金太郎で、実際に植樹の仕事に従ったのは1885年(明治18年)に 来航した官約移民第一回船組の人たちだったと言われている。

 なお、クレグホーンはハワイ王族のリケリケ姫と結婚、日本の皇室(東伏見宮依仁親王) とのロマンスを噂された悲劇の王女、プリンセス・カイウラニの実父に当る。 ハワイの歴史を彩る人たちの手によるこの松並木。今では毎年12月の第2日曜日に行われるホノルル・マラソンのゴール地点になっており、二万数千人のランナーがゴールインする姿を、感慨深げに見下ろしている。

西川幸夫 プロフィール

1939年生まれ、1961~1994年、新日本製鉄に勤務。北九州や欧州の風景をスケッチ・淡彩画で製作。
北九州でスケッチ・淡彩画教室「四季彩」を主宰。郵便局の官製はがき9シリーズでもおなじみ。他に「ふるさと12景」のカレンダー画をはじめ、書籍の表紙画や挿絵を手がけその仕事は広範囲にわたる。
現在、山口新聞に「長門101景」、ハワイのローカル情報誌イースト・ウェストジャーナルに「ホノルル点描101景」、佐賀市「市報さが」に[思いでの風景]を連載中。
著書に画集「北九州101景」、画集「寅さんが旅した風景」、画集「延岡やすらぎ101景」がある。
2008年6月出版予定の画集「新北九州101景」、2009年秋出版予定の松本清張生誕100年祭 画集「清張紀行101景」(仮称)を目指し取組み中。