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第22回 ダイヤモンドヘッド・ライトハウス

2008年02月12日 | アート オアフ島 ハワイで暮らす 

「ホノルル点描」画:西川幸夫 文章:イースト・ウエスト・ジャーナル永井雄治、榊原百合惠

第22回 1878年から灯る「ダイヤモンドヘッド・ライトハウス」


diaright.jpg
 灯台の光に頼って航海する時代は終わったが、ハワイにはいくつかの灯台が残る。 ハワイ諸島で最初の灯台は1840年にマウイ島に、 1869年にオアフ島に建てられた。 その後夜間に浅瀬や暗礁の側を運行する際の危険性を考慮した海運業者や船長たちの要望に従って、徐々に灯台の数が増やされた。

 交通量が多いダイヤモンドヘッドの岬に小さな灯台が建てられたのは1878年のこと。その後、スウェーデン出身の灯台建築のエキスパート、ジョン・ピーターソンによって建て替えられた。彼は一日に17時間の労働、一ヶ月に50ドルの報酬で1899年に石作りのタワーを完成させた。建設当時はハワイでアロハタワーに次ぐ高い建物だった。装置にはフランスから輸入したフレネルレンズと灯油ランプが使われた。

 ハワイがアメリカ合衆国に併合されてからは、ハワイの海事も連邦政府の管轄となり、1918年には現在に至る鉄筋コンクリート建ての灯台が新しく建設され た。55フィートの高さで、海面からの高さは148フィート、白熱ライトは蝋燭7,300本分の明かりで、8マイル離れた船でも光をとらえることができた。 この灯台は戦中の1939年から1945年まで第14沿岸警備地区ラジオステーションとして利用されたが、終戦とともにそのラジオステーションは現在のワヒアワに移された。

 現在の設備は、完全自動式で蝋燭60,000本分1,000ワットの光を放つ。 また、赤い光はワイキキビーチを通過する船に暗礁から離れるように注意する。 1899年にフランスから購入したフレネルレンズは現在でも使用されており、生産中止となったいまでは、この灯台にあるフレネルレンズは非常に貴重なものとなっている。 ダイヤモンドヘッド・ライトハウスは、国の歴史的建造物に指定されワイキキビーチを通過する船が安全な航海をできるように見守り続ける。

西川幸夫 プロフィール

1939年生まれ、1961~1994年、新日本製鉄に勤務。北九州や欧州の風景をスケッチ・淡彩画で製作。
北九州でスケッチ・淡彩画教室「四季彩」を主宰。郵便局の官製はがき9シリーズでもおなじみ。他に「ふるさと12景」のカレンダー画をはじめ、書籍の表紙画や挿絵を手がけその仕事は広範囲にわたる。
現在、山口新聞に「長門101景」、ハワイのローカル情報誌イースト・ウェストジャーナルに「ホノルル点描101景」、佐賀市「市報さが」に[思いでの風景]を連載中。
著書に画集「北九州101景」、画集「寅さんが旅した風景」、画集「延岡やすらぎ101景」がある。
2008年6月出版予定の画集「新北九州101景」、2009年秋出版予定の松本清張生誕100年祭 画集「清張紀行101景」(仮称)を目指し取組み中。