第24回 元「横浜正金銀行」ビル
2008年02月25日
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アート オアフ島
第24回 日本への送金で賑わった元「横浜正金銀行」ビル
横浜正金銀行の始まりは、1859年に締結された日米修好通商条約にさかのぼる。 条約により5つの港が開港され、横浜が江戸に最も近い貿易港となった。 開国したばかりの日本は、外国商人との金融取引、貨幣の違いに戸惑った。
取引を円滑にするため、貿易金融機関と現金(当時の言葉で「正金」の必要性が高まり、福沢諭吉 や大隈重信大蔵卿支援の元、1879年に国立銀行・横浜正金銀行が設立された。 横浜正金銀行は間もなく外国貿易関係を専門とする特殊銀行となり、海外へ積極的 に支点を広げるようになった。
横浜正金銀行がハワイ支店を設立したのは1910年のこと。ホノルル・ダウンタウンの中心、ベセル街とマーチャント街角に同行が自社屋として建設したもので、ベースメントのある地上二階建、当時としては石造りの堂々たる建物だった。 建築費は当時の金で16万ドル。 店内は日本への送金の唯一の機関として終日賑わった。 が、太平洋戦争が勃発し、日本の横浜正金銀行が日本軍の勢力圏内での金融の中心となっていく一方で、横浜正金銀行ハワイ支店は敵性機関としてアメリカ外国人管理局により没収されてしまう。 戦争中、ビルの一階は押収した私有財産の倉庫として使われ、地下は酔っ払った軍人の収容所として利用された。
戦後、日本の横浜正金銀行はGHQの司令により解体され、東京銀行として再スタートした。 1996年には三菱銀行と合併し、東京三菱銀行となった。 一方ハワイの横浜正金銀行ビルは、政府からシティ・リアリティに売却され、それ以降はオフィスとして使われた。 80年代に二階を増築し、過去20年間の主なテナントはコ ロニー・リゾートやホノルルマガジンであったが、現在は新しいテナントを待っている状態である。
西川幸夫 プロフィール
1939年生まれ、1961~1994年、新日本製鉄に勤務。北九州や欧州の風景をスケッチ・淡彩画で製作。
北九州でスケッチ・淡彩画教室「四季彩」を主宰。郵便局の官製はがき9シリーズでもおなじみ。他に「ふるさと12景」のカレンダー画をはじめ、書籍の表紙画や挿絵を手がけその仕事は広範囲にわたる。
現在、山口新聞に「長門101景」、ハワイのローカル情報誌イースト・ウェストジャーナルに「ホノルル点描101景」、佐賀市「市報さが」に[思いでの風景]を連載中。
著書に画集「北九州101景」、画集「寅さんが旅した風景」、画集「延岡やすらぎ101景」がある。
2008年6月出版予定の画集「新北九州101景」、2009年秋出版予定の松本清張生誕100年祭 画集「清張紀行101景」(仮称)を目指し取組み中。
第23回 インターナショナル・マーケット・プレイス
2008年02月19日
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アート オアフ島
第23回 ワイキキの中心にある土産品広場
「インターナショナル・マーケット・プレイス」

ワイキキ地区は何世紀にも亘りその土地に君臨する首長たちの楽園であり、王朝時代はロイヤルファミリーの住み処であった。 1848年に私有地所有権制度がハワイで施行されたとき、外部から来た人々が次々にワイキキの土地を買い占めていった。 インターナショナル・マーケット・プレイスの地はカルアオカウと呼ばれていたところだが、この地を購入したのはニュージーランド出身のヘンリー、エリザ・マクファーレン夫妻であった。夫妻が中央附近にある巨大なバニヤンの木を植えた。
マクファーレン一家がこの地を手放した後、ウィリアム・ルナリロ王の手に渡った。 ルナリロ王はカメハメハ一世の甥であり、ハワイ王国で初めて選出された王である。 ルナリロ王の統治は非常に短く、次の王位継承者を指名する前に王は結核で逝去してしまった。 ルナリロ王にはカメハメハ四世の未亡人、エマ女王との逸話がある。王は エマ女王を王位継承者と願っただけでなく、実はエマ女王との結婚も考えたこともあった。 ルナリロ王が逝去した時、王の財産のほとんどはハワイアン高齢者のための施設のために売られたが、ワイキキの土地はそのエマ女王に遺贈された。
エマ女王はその熱心なチャリティー活動で知られている。女王は外国人が持ち込んだ疫病のために激減するハワイアンのために自ら募金活動を行い、現在のクイーンズホスピタルを建てたことでも有名である。エマ女王が逝去した際に、この地を含む彼女の土地保有財産は財団に受け継がれ、クイーンズホスピタル運営のために使われた。
この地はその後様々な目的で使われたが、1955年、実業家のドン・ザ・ビーチコマのアイディアによりワイキキヴィレッジが造られた。 それが現在のインターナショナル・マーケット・プレイスの前身となった。ワイキキ中心に位置するこのインターナショナル・マーケット・プレイスは、アート、工芸品などの百三十ものお土産もの屋台、レストランやエンターテイメントがあり、連日観光客で賑わっている。
西川幸夫 プロフィール
1939年生まれ、1961~1994年、新日本製鉄に勤務。北九州や欧州の風景をスケッチ・淡彩画で製作。
北九州でスケッチ・淡彩画教室「四季彩」を主宰。郵便局の官製はがき9シリーズでもおなじみ。他に「ふるさと12景」のカレンダー画をはじめ、書籍の表紙画や挿絵を手がけその仕事は広範囲にわたる。
現在、山口新聞に「長門101景」、ハワイのローカル情報誌イースト・ウェストジャーナルに「ホノルル点描101景」、佐賀市「市報さが」に[思いでの風景]を連載中。
著書に画集「北九州101景」、画集「寅さんが旅した風景」、画集「延岡やすらぎ101景」がある。
2008年6月出版予定の画集「新北九州101景」、2009年秋出版予定の松本清張生誕100年祭 画集「清張紀行101景」(仮称)を目指し取組み中。
第22回 ダイヤモンドヘッド・ライトハウス
2008年02月12日
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アート オアフ島 ハワイで暮らす
第22回 1878年から灯る「ダイヤモンドヘッド・ライトハウス」
灯台の光に頼って航海する時代は終わったが、ハワイにはいくつかの灯台が残る。 ハワイ諸島で最初の灯台は1840年にマウイ島に、 1869年にオアフ島に建てられた。 その後夜間に浅瀬や暗礁の側を運行する際の危険性を考慮した海運業者や船長たちの要望に従って、徐々に灯台の数が増やされた。
交通量が多いダイヤモンドヘッドの岬に小さな灯台が建てられたのは1878年のこと。その後、スウェーデン出身の灯台建築のエキスパート、ジョン・ピーターソンによって建て替えられた。彼は一日に17時間の労働、一ヶ月に50ドルの報酬で1899年に石作りのタワーを完成させた。建設当時はハワイでアロハタワーに次ぐ高い建物だった。装置にはフランスから輸入したフレネルレンズと灯油ランプが使われた。
ハワイがアメリカ合衆国に併合されてからは、ハワイの海事も連邦政府の管轄となり、1918年には現在に至る鉄筋コンクリート建ての灯台が新しく建設され た。55フィートの高さで、海面からの高さは148フィート、白熱ライトは蝋燭7,300本分の明かりで、8マイル離れた船でも光をとらえることができた。 この灯台は戦中の1939年から1945年まで第14沿岸警備地区ラジオステーションとして利用されたが、終戦とともにそのラジオステーションは現在のワヒアワに移された。
現在の設備は、完全自動式で蝋燭60,000本分1,000ワットの光を放つ。 また、赤い光はワイキキビーチを通過する船に暗礁から離れるように注意する。 1899年にフランスから購入したフレネルレンズは現在でも使用されており、生産中止となったいまでは、この灯台にあるフレネルレンズは非常に貴重なものとなっている。 ダイヤモンドヘッド・ライトハウスは、国の歴史的建造物に指定されワイキキビーチを通過する船が安全な航海をできるように見守り続ける。
西川幸夫 プロフィール
1939年生まれ、1961~1994年、新日本製鉄に勤務。北九州や欧州の風景をスケッチ・淡彩画で製作。
北九州でスケッチ・淡彩画教室「四季彩」を主宰。郵便局の官製はがき9シリーズでもおなじみ。他に「ふるさと12景」のカレンダー画をはじめ、書籍の表紙画や挿絵を手がけその仕事は広範囲にわたる。
現在、山口新聞に「長門101景」、ハワイのローカル情報誌イースト・ウェストジャーナルに「ホノルル点描101景」、佐賀市「市報さが」に[思いでの風景]を連載中。
著書に画集「北九州101景」、画集「寅さんが旅した風景」、画集「延岡やすらぎ101景」がある。
2008年6月出版予定の画集「新北九州101景」、2009年秋出版予定の松本清張生誕100年祭 画集「清張紀行101景」(仮称)を目指し取組み中。
第21回モアナルア・ガーデン「この木、なんの木」
2008年02月04日
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アート オアフ島 ハワイで暮らす
第21回 日立の「この木、なんの木...」 - モアナルア・ガーデンの「モンキーポット」
日本からの観光客に、「日立の木」というのはどこにあるのですか?とよく聞か れる。H1フリーウエイ沿いにあるモアナルア・ガーデンにあるモンキーポットのことのようだ。
この木なんの木
気になる木
名前を知らない
木ですから
名前を知らない
木になるでしょう
なんとも不思議な
木ですから
なんとも不思議な
木になるでしょう
見たこともない
木ですから
見たこともない
花が咲くでしょう
こんな歌詞で、一本の形の美しい枝ぶりの樹齢百年を越すモンキーポットが映し出される日立のTVコマーシャル。 日立グループの10数社の社名が連ねられて、企業 グループの存在をアピールしている。それに、このCMは1973年から始まり、今も続いており、すでに33年になるというからギネスブックものである。 だから大概の日本人が知っている。日立はCM使用料として同ガーデンに年間2万ドルを支払っていると聞いた。
このガーデンの所有者はデイモン財団。 1884年にサミエル・ミルス・デイモン 氏が、プリンセス・バーニース・パウアヒ・ビショップから貰った、広大な土地の一角である。 デイモン氏の死後、財団が受け継ぎ、モアナルア庭園として造成し、市民に開放してきた。 10数本あるモンキーポットはホノルル市議会から重要樹林に指定されている。
一昨年、同財団の最後の相続人だった人が亡くなり、遺言により財団の解体が始まっており、年間70万ドルの維持費がかかることから、今、このガーデンの存続自体が問題になっている。
西川幸夫 プロフィール
1939年生まれ、1961~1994年、新日本製鉄に勤務。北九州や欧州の風景をスケッチ・淡彩画で製作。
北九州でスケッチ・淡彩画教室「四季彩」を主宰。郵便局の官製はがき9シリーズでもおなじみ。他に「ふるさと12景」のカレンダー画をはじめ、書籍の表紙画や挿絵を手がけその仕事は広範囲にわたる。
現在、山口新聞に「長門101景」、ハワイのローカル情報誌イースト・ウェストジャーナルに「ホノルル点描101景」、佐賀市「市報さが」に[思いでの風景]を連載中。
著書に画集「北九州101景」、画集「寅さんが旅した風景」、画集「延岡やすらぎ101景」がある。
2008年6月出版予定の画集「新北九州101景」、2009年秋出版予定の松本清張生誕100年祭 画集「清張紀行101景」(仮称)を目指し取組み中。