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第16回 クアキニ・メディカル・センター

2008年01月02日 | アート オアフ島 ハワイで暮らす 

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第16回 日本人が設立した「クアキニ・メディカル・センター」

 30有余年の歴史を誇るハワイのローカル情報誌「イースト・ウエスト・ジャーナル」に掲載された好評コラム「ホノルル点描」を毎週ご覧いただけるようになりました。ホノルルの街のさまざまな風景を繊細なタッチで描いた印象深い1枚のスケッチに、あなたは何を思うでしょう?

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 古くから「日本人病院」の愛称で親しまれ、今日ではハワイ全州民に解放されて、あらゆる医療に当たっている「クアキニ・メディカル・センター」は、もともと草分け時代のハワイ在留日本人のために建てられた慈善病院だった。

 19世紀後半、ハワイは砂糖キビ・プランテーション全盛期であった。7万人もの日本人がプランテーションの労働力になるべく太平洋を越えてハワイへ移民してきた。この時代、ハワイ住民の生活支 援は民族別のチャリティ団体が行っていた。

 日系のチャリティ団体 「ジャパニーズ・ベネヴォレント・ソサイエティ」は、ハワイ在住の病気や貧困、事故などで困っている日本人を援助する慈善団体として設立された。 これが後のクアキニ・メディカル・センターの先駆けとなる

 1899年の冬、ペストがチャイナタウンを襲った。翌年の1900年1月、感染地区は立ち入り禁止となり、さらなる広がりを防ぐため家屋が焼かれた。その際飛火し、何千もの日本人移民が家を失ってしまった。「ジャパニーズ・ベネヴォレント・ソサエティ」は被害者のための緊急救済活動をすると同時に病院を建てる計画を立て始めた。

 募金で集まった資金で、カパラマのサウスキング・ストリートに木造二階建ての「ジャパニーズ・チャリティ・ホスピタル」を設立した。その後患者数が増えるに従って何度か移動し、現在の地、クアキニ・ストリートに移転したのは1917年のことである。そして、病院名も「ジャパニーズ・ホスピタル」とした。

 1930年代に入り、日本人プランテーション労働者たちは定年を迎え始めた。その中には未婚の男性も多く、彼らには世話をしてくれる家族がない。そのような年配の男性たちに快適な生活環境を与えるため、地域の寄付により病院内に「ジャパニーズ・ホーム・オブ・ハワイ」が建てられた。 それが現在の「クアキニ・ホーム」である。

 日本人移民により生まれた病院は、戦時中は第147オアフ一般病院と呼ばれていたが、戦後になって、そして「クアキニ・ホスピタル」と改名され、日系人だけでなく、地域全体にメディカルケアを提供するようになる。その後も拡張し続け1975年に「クアキニ・メディカル・センター」と再度改名して現在に至る。

西川幸夫 プロフィール

1939年生まれ、1961~1994年、新日本製鉄に勤務。北九州や欧州の風景をスケッチ・淡彩画で製作。
北九州でスケッチ・淡彩画教室「四季彩」を主宰。郵便局の官製はがき9シリーズでもおなじみ。他に「ふるさと12景」のカレンダー画をはじめ、書籍の表紙画や挿絵を手がけその仕事は広範囲にわたる。
現在、山口新聞に「長門101景」、ハワイのローカル情報誌イースト・ウェストジャーナルに「ホノルル点描101景」、佐賀市「市報さが」に[思いでの風景]を連載中。
著書に画集「北九州101景」、画集「寅さんが旅した風景」、画集「延岡やすらぎ101景」がある。
2008年6月出版予定の画集「新北九州101景」、2009年秋出版予定の松本清張生誕100年祭 画集「清張紀行101景」(仮称)を目指し取組み中。