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第11回トリプラー・ホスピタル

2007年11月14日 | アート オアフ島 


「ホノルル点描」画:西川幸夫 文章:イースト・ウエスト・ジャーナル永井雄治、榊原百合惠
 30有余年の歴史を誇るハワイのローカル情報誌「イースト・ウエスト・ジャーナル」に掲載された好評コラム「ホノルル点描」を毎週ご覧いただけるようになりました。ホノルルの街のさまざまな風景を繊細なタッチで描いた印象深い1枚のスケッチに、あなたは何を思うでしょう?
第11回
ピンクカラーの陸軍病院「トリプラー・ホスピタル」
 ホノルル空港からワイキキに向かう通りから、山の中腹に鮮やかな ピンク色の大きな建物が見える。これはアジア太平洋地域で最も大きな軍関連のトリプラー・ホスピタル(正式にはトリプラー・アーミー・メディカル・センター)である。 また、アメリカ合衆国にある唯一の国連平和活動施設で、平和維持活動に従事するアメリカ及び海外の軍関係者の教育が行われている。

 ハワイで最初の軍病院は、1898年キングストリートに建てられた。 同年スペイン・アメリカ戦争が勃発し、フィリピンで負傷したアメ リカ兵達が運ばれて病院はすぐに一杯になった。しかもフィリピンから持ち込まれた腸チフスとマラリアが病院内に蔓延し、収容しきれない患者達は簡易施設やバラック小屋、果ては民家にまで転移させられた。

 1907年にフォートシャフターに設けられた医療施設は増えつづける需要に応えて増築を繰り返し、後に南北戦争期にアメリカ軍医療へ貢献したチャールス・スチュワート・トリプラー准将の名をとってトリプラー・ホスピタルと称されるようになった。

 トリプラー准将は19世中頃、まだ原始的であった医療技術の向上に根気強く取り組んだ医師である。その著書「アメリカ軍医療士官の手引き」は当時の軍医療に携わる者たちの聖書であり、アメリカ軍医療史に残る教範である。彼の功績は今現在もトリプラー・ホスピタルの医療活動の基本理念を支えている。

第2次世界大戦中に病院の新設計画が持ち上がり、1948年、モアナルアリッジにトリプラー・ホスピタルが完成した。なぜこの病院はピンク色に塗装されたのか。アメリカ太平洋司令部は山の斜面に立つこの巨大な軍病院が日本軍に発見・爆撃されることを恐れた。

日本軍はピンクの建物をまさか軍施設とは思わないだろう、という憶測により司令部は建物をピンク色に塗るよう発注した、と記録にある。その鮮やかなピンク色はすでにトリプラー・ホスピタルに定着してしまったので、戦後、色変えはされていない。

西川幸夫 プロフィール

1939年生まれ、1961~1994年、新日本製鉄に勤務。北九州や欧州の風景をスケッチ・淡彩画で製作。
北九州でスケッチ・淡彩画教室「四季彩」を主宰。郵便局の官製はがき9シリーズでもおなじみ。他に「ふるさと12景」のカレンダー画をはじめ、書籍の表紙画や挿絵を手がけその仕事は広範囲にわたる。
現在、山口新聞に「長門101景」、ハワイのローカル情報誌イースト・ウェストジャーナルに「ホノルル点描101景」、佐賀市「市報さが」に[思いでの風景]を連載中。
著書に画集「北九州101景」、画集「寅さんが旅した風景」、画集「延岡やすらぎ101景」がある。
2008年6月出版予定の画集「新北九州101景」、2009年秋出版予定の松本清張生誕100年祭 画集「清張紀行101景」(仮称)を目指し取組み中。

公開日 : 2007年 11月 14日