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第13回デューク・カハナモク
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| 30有余年の歴史を誇るハワイのローカル情報誌「イースト・ウエスト・ジャーナル」に掲載された好評コラム「ホノルル点描」を毎週ご覧いただけるようになりました。ホノルルの街のさまざまな風景を繊細なタッチで描いた印象深い1枚のスケッチに、あなたは何を思うでしょう? | ||||
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| ワイキキ・ビーチの交番の近くに長いサーフボードを背に両手を広げて立つ銅像がある。銅像の主は、デューク・カハナモク。彼は伝説的なサーファーであり、100メートル競技では2度のオリンピック金メダリストであり、ハリウッドスターでもあった。まさにハワイの英雄、いやアメリカ合衆国の英雄である。 1890年8月にホノルルで生まれたデュークは、マッキンレー高校を1年で中退した後、ワイキキのビーチボーイとなり泳ぎを覚えた。19歳のおり、100メートル自由型のレースに出場、メインランドから来た選手を大差で破り、一躍脚光を浴びる事になる。 メインランドのレースに招待されて次々に記録を更新、21歳の時にストックホルム・オリンピックに出場し見事金メダルを獲得した。彼は泳ぐだけでなく、サーフィンの名手でもあった。水泳の招待試合に出かけた先々で、サーフィンを披露し、その普及に努めた。 29歳の時、再びアントワープ・オリンピックに出場、当時の世界記録を2秒50も縮め、再び金メダルという快挙を成し遂げている。海を愛したデュークは、1968年1月22日にクルーザーの上でその生涯を終えた。享年78。 |
西川幸夫 プロフィール1939年生まれ、1961~1994年、新日本製鉄に勤務。北九州や欧州の風景をスケッチ・淡彩画で製作。 北九州でスケッチ・淡彩画教室「四季彩」を主宰。郵便局の官製はがき9シリーズでもおなじみ。他に「ふるさと12景」のカレンダー画をはじめ、書籍の表紙画や挿絵を手がけその仕事は広範囲にわたる。 現在、山口新聞に「長門101景」、ハワイのローカル情報誌イースト・ウェストジャーナルに「ホノルル点描101景」、佐賀市「市報さが」に[思いでの風景]を連載中。 著書に画集「北九州101景」、画集「寅さんが旅した風景」、画集「延岡やすらぎ101景」がある。 2008年6月出版予定の画集「新北九州101景」、2009年秋出版予定の松本清張生誕100年祭 画集「清張紀行101景」(仮称)を目指し取組み中。 |
| 公開日 : 2007年 11月 28日 |
第12回カワイハオ・チャーチ
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| 30有余年の歴史を誇るハワイのローカル情報誌「イースト・ウエスト・ジャーナル」に掲載された好評コラム「ホノルル点描」を毎週ご覧いただけるようになりました。ホノルルの街のさまざまな風景を繊細なタッチで描いた印象深い1枚のスケッチに、あなたは何を思うでしょう? | ||||
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| パンチボウルと南キング街の角に位置するカワイハオ教会は、ニューイングランド様式の、ハワイでは最も古いキリスト教教会である。 かつては、ハワイ王朝の礼拝堂として、即位式や結婚式、葬式など様々な重要行事が行われた。 議会のために使用されることもあった。 カワイハオ教会は、ハワイにキリスト教が根付きはじめたカメハメハ3世の統治下の1836年から1842年にかけて、海面下10フィートから20フィートの珊瑚礁から切り出された14,000戸の珊瑚石と、コオラウ山脈から切り出した木材を集めて建造された。 時計台は、カメハメハ3世によって寄付されたもので、1850年に取り付けられ た時計は150年以上を経た今もその時を刻み続けている。 カワイハオ教会を入ってすぐ右側にある小さな霊廟は、ハワイ王朝6代目の王、ウィリアム・カナイナ・ルナリロ王(1835-1874)の霊廟である。 ルナリロ王は、カメハメハ5世の死後、ハワイ王朝の直系が絶えたため、議会によって選出されて王となり、1873年1月9日にカワイハオ教会で即位式を行ったが、翌1874年に39才の若さで結核で亡くなった。 在位期間はわずか1年と25日であった。 |
西川幸夫 プロフィール1939年生まれ、1961~1994年、新日本製鉄に勤務。北九州や欧州の風景をスケッチ・淡彩画で製作。 北九州でスケッチ・淡彩画教室「四季彩」を主宰。郵便局の官製はがき9シリーズでもおなじみ。他に「ふるさと12景」のカレンダー画をはじめ、書籍の表紙画や挿絵を手がけその仕事は広範囲にわたる。 現在、山口新聞に「長門101景」、ハワイのローカル情報誌イースト・ウェストジャーナルに「ホノルル点描101景」、佐賀市「市報さが」に[思いでの風景]を連載中。 著書に画集「北九州101景」、画集「寅さんが旅した風景」、画集「延岡やすらぎ101景」がある。 2008年6月出版予定の画集「新北九州101景」、2009年秋出版予定の松本清張生誕100年祭 画集「清張紀行101景」(仮称)を目指し取組み中。 |
| 公開日 : 2007年 11月 21日 |
第11回トリプラー・ホスピタル
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| 30有余年の歴史を誇るハワイのローカル情報誌「イースト・ウエスト・ジャーナル」に掲載された好評コラム「ホノルル点描」を毎週ご覧いただけるようになりました。ホノルルの街のさまざまな風景を繊細なタッチで描いた印象深い1枚のスケッチに、あなたは何を思うでしょう? | ||||
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ホノルル空港からワイキキに向かう通りから、山の中腹に鮮やかな ピンク色の大きな建物が見える。これはアジア太平洋地域で最も大きな軍関連のトリプラー・ホスピタル(正式にはトリプラー・アーミー・メディカル・センター)である。 また、アメリカ合衆国にある唯一の国連平和活動施設で、平和維持活動に従事するアメリカ及び海外の軍関係者の教育が行われている。 ハワイで最初の軍病院は、1898年キングストリートに建てられた。 同年スペイン・アメリカ戦争が勃発し、フィリピンで負傷したアメ リカ兵達が運ばれて病院はすぐに一杯になった。しかもフィリピンから持ち込まれた腸チフスとマラリアが病院内に蔓延し、収容しきれない患者達は簡易施設やバラック小屋、果ては民家にまで転移させられた。 1907年にフォートシャフターに設けられた医療施設は増えつづける需要に応えて増築を繰り返し、後に南北戦争期にアメリカ軍医療へ貢献したチャールス・スチュワート・トリプラー准将の名をとってトリプラー・ホスピタルと称されるようになった。 トリプラー准将は19世中頃、まだ原始的であった医療技術の向上に根気強く取り組んだ医師である。その著書「アメリカ軍医療士官の手引き」は当時の軍医療に携わる者たちの聖書であり、アメリカ軍医療史に残る教範である。彼の功績は今現在もトリプラー・ホスピタルの医療活動の基本理念を支えている。 第2次世界大戦中に病院の新設計画が持ち上がり、1948年、モアナルアリッジにトリプラー・ホスピタルが完成した。なぜこの病院はピンク色に塗装されたのか。アメリカ太平洋司令部は山の斜面に立つこの巨大な軍病院が日本軍に発見・爆撃されることを恐れた。 日本軍はピンクの建物をまさか軍施設とは思わないだろう、という憶測により司令部は建物をピンク色に塗るよう発注した、と記録にある。その鮮やかなピンク色はすでにトリプラー・ホスピタルに定着してしまったので、戦後、色変えはされていない。 |
西川幸夫 プロフィール1939年生まれ、1961~1994年、新日本製鉄に勤務。北九州や欧州の風景をスケッチ・淡彩画で製作。 北九州でスケッチ・淡彩画教室「四季彩」を主宰。郵便局の官製はがき9シリーズでもおなじみ。他に「ふるさと12景」のカレンダー画をはじめ、書籍の表紙画や挿絵を手がけその仕事は広範囲にわたる。 現在、山口新聞に「長門101景」、ハワイのローカル情報誌イースト・ウェストジャーナルに「ホノルル点描101景」、佐賀市「市報さが」に[思いでの風景]を連載中。 著書に画集「北九州101景」、画集「寅さんが旅した風景」、画集「延岡やすらぎ101景」がある。 2008年6月出版予定の画集「新北九州101景」、2009年秋出版予定の松本清張生誕100年祭 画集「清張紀行101景」(仮称)を目指し取組み中。 |
| 公開日 : 2007年 11月 14日 |
第10回ワイキキ水族館
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| 30有余年の歴史を誇るハワイのローカル情報誌「イースト・ウエスト・ジャーナル」に掲載された好評コラム「ホノルル点描」が、毎週ご覧いただけるようになりました。ホノルルの街のさまざまな風景を繊細なタッチで描いた印象深い1枚のスケッチに、あなたは何を思うでしょう? | ||||
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昨年、創立100周年を迎え、現在も年間35万人が訪れるワイキキ水族館は、かつて、日本からも皇族をはじめ、多くの著名人がホノルル寄港の際に足を運んだ場所である。 その水族館は、かつてホノルルを走っていた市電(ホノルル電鉄)が、カピオラニ公園へ乗客を誘引するために、また、ハワイの美しい礁や洋生物を紹介するための施設として、1904年に建てられた。米国内では3番目に古い水族館である。1919年にハワイ大学に移管されて以降、ホノルル市民のレクリエーション施設としてだけではなく、研究・教育機関としても発展を遂げてきた。 さらに、1909年にシアトルで開かれたアラスカ・ユーコン博覧会や、1915年にサンフランシスコで開かれたパナマ太平洋博覧会でハワイの熱帯色豊かな海洋生物を出品したことで、世界各地からの注目を集めた。 1975年以降は、動物学を専門とするテイラー博士によって、水族館が、これまで教育と海洋生物保護に力を注いでいなかった点を改善するために様々な試みが行われ、規模は小さいが、現在は海洋生物保護、教育機関としては、アメリカでもトップレベルにある。 ハワイ州の魚、フムフムヌクヌクアプアアなど、420種、2,500を越える生物を見ることができる。 |
西川幸夫 プロフィール1939年生まれ、1961~1994年、新日本製鉄に勤務。北九州や欧州の風景をスケッチ・淡彩画で製作。 北九州でスケッチ・淡彩画教室「四季彩」を主宰。郵便局の官製はがき9シリーズでもおなじみ。他に「ふるさと12景」のカレンダー画をはじめ、書籍の表紙画や挿絵を手がけその仕事は広範囲にわたる。 現在、山口新聞に「長門101景」、ハワイのローカル情報誌イースト・ウェストジャーナルに「ホノルル点描101景」、佐賀市「市報さが」に[思いでの風景]を連載中。 著書に画集「北九州101景」、画集「寅さんが旅した風景」、画集「延岡やすらぎ101景」がある。 2008年6月出版予定の画集「新北九州101景」、2009年秋出版予定の松本清張生誕100年祭 画集「清張紀行101景」(仮称)を目指し取組み中。 |
| 公開日 : 2007年 11月 07日 |