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第4回 太平洋のカーネギーホール「ハワイ・シアター」

2007年09月26日 | アート オアフ島 


「ホノルル点描」画:西川幸夫 文章:イースト・ウエスト・ジャーナル永井雄治、榊原百合惠
 30有余年の歴史を誇るハワイのローカル情報誌「イースト・ウエスト・ジャーナル」に掲載された好評コラム「ホノルル点描」が、毎週ご覧いただけるようになりました。ホノルルの街のさまざまな風景を繊細なタッチで描いた印象深い1枚のスケッチに、あなたは何を思うでしょう?
第4回
太平洋のカーネギーホール「ハワイ・シアター」
 ホノルル・ダウンタウンの中心、ベセルとパウアヒ街角にあるネオクラシック調の「ハワ イ・シアター」(観客席1724)。柿落としは1922年と、その歴史は古い。1920年代に、欧米で建設されたネオクラシックの劇場は数百カ所あったが、現存しているものは少ない。

 正面玄関上部の柱頭には、アカンサス(ハアザミ)の葉を装飾した古代ギリシャのコリン ト様式がみられる。 劇場内のモザイク画は有名な彫刻家ゴードン・ユズボーンによるもので、その色彩はスペインのアルハンブラ宮殿の壁画を思わせる。 観客席1、2階はイタリア風の馬蹄形。 1階観客席の内側には、それぞれボックス席もあり、どの席からも舞台がよく見え、音響効果も素晴らしい。

 ハワイ随一のシアターとして、オペラ、バレエ、ファッションショー、ミュージックショ ー、演劇はもとより、日本から歌舞伎、能楽、狂言、文楽など多岐に亘る公演が行なわれ長年に亘って市民に親しまれた。 1978年に合衆国とハワイ州から歴史的建造物に指定されている。

 設備の老朽化から、1984年6月に閉鎖され、2,300万ドルを投じて10年間、修復・改装工事が行なわれ、1996年5月にほぼ建設当時の姿を取り戻し再開された。 その後も、公演の間にコンピュータ時代にそった舞台装置、照明、音響設備の改修 が順次続けられている。

西川幸夫 プロフィール

1939年生まれ、1961~1994年、新日本製鉄に勤務。北九州や欧州の風景をスケッチ・淡彩画で製作。
北九州でスケッチ・淡彩画教室「四季彩」を主宰。郵便局の官製はがき9シリーズでもおなじみ。他に「ふるさと12景」のカレンダー画をはじめ、書籍の表紙画や挿絵を手がけその仕事は広範囲にわたる。
現在、山口新聞に「長門101景」、ハワイのローカル情報誌イースト・ウェストジャーナルに「ホノルル点描101景」、佐賀市「市報さが」に[思いでの風景]を連載中。
著書に画集「北九州101景」、画集「寅さんが旅した風景」、画集「延岡やすらぎ101景」がある。
2008年6月出版予定の画集「新北九州101景」、2009年秋出版予定の松本清張生誕100年祭 画集「清張紀行101景」(仮称)を目指し取組み中。

公開日 : 2007年 9月 26日

第3回 モイリリ日本人墓地

2007年09月19日 | アート オアフ島 


「ホノルル点描」画:西川幸夫 文章:イースト・ウエスト・ジャーナル永井雄治、榊原百合惠
 30有余年の歴史を誇るハワイのローカル情報誌「イースト・ウエスト・ジャーナル」に掲載された好評コラム「ホノルル点描」が、毎週ご覧いただけるようになりました。ホノルルの街のさまざまな風景を繊細なタッチで描いた印象深い1枚のスケッチに、あなたは何を思うでしょう?
第3回
「モイリリ日本人墓地」
 カピオラニ大通りの東端、H1フリーウエイの手前のカイムキハイスクールの横手に、石碑が林立する墓地が見える。この地からハワイ大学にかけてのモイリリ地区はその昔、日本人町として栄えたところだ。

 マキキ墓地の日本人区画が満杯になったことから、本派本願寺ハワイ別院の今村恵猛師が、新しい墓地の建設を計画し、信者に依頼して土地の取得にあたらせた。当時この地は町はずれで米田と蓮田に囲まれた小高い所だったという。 6フィート掘って水が出ないことを確かめて衛生局の許可をとった。

 1906年に開設されて以来、日本人一世が数多く埋葬されているが、石碑は残るが大部分の木標は朽ち果ててしまっている。 そんなことから「万霊塔」や、「明治元年移民のハワイ渡航百年」の石碑が建立された。個人としてはひときわ目を引くのが「木村斎次君之碑」。 官約移民第1号の木村斎次氏の抜群の功績と日本人社会発展に大きく貢献した遺業を称えて、知友が1918年に建立したものだ。

 また、名曲「別れの磯千鳥」の作曲家・フランシス座波や、日系社会を揺るがした福永事件のマイルス福永寛の墓碑など、日系人の歴史がそこにある。南キング街とユニバーシティ角に花屋さんが何軒かあるが、かつては十数軒が並び、お盆には大変な賑わいだったそうである。

西川幸夫 プロフィール

1939年生まれ、1961~1994年、新日本製鉄に勤務。北九州や欧州の風景をスケッチ・淡彩画で製作。
北九州でスケッチ・淡彩画教室「四季彩」を主宰。郵便局の官製はがき9シリーズでもおなじみ。他に「ふるさと12景」のカレンダー画をはじめ、書籍の表紙画や挿絵を手がけその仕事は広範囲にわたる。
現在、山口新聞に「長門101景」、ハワイのローカル情報誌イースト・ウェストジャーナルに「ホノルル点描101景」、佐賀市「市報さが」に[思いでの風景]を連載中。
著書に画集「北九州101景」、画集「寅さんが旅した風景」、画集「延岡やすらぎ101景」がある。
2008年6月出版予定の画集「新北九州101景」、2009年秋出版予定の松本清張生誕100年祭 画集「清張紀行101景」(仮称)を目指し取組み中。

公開日 : 2007年 9月 19日

第2回 ホノルル・アカデミー・オブ・アート

2007年09月12日 | アート オアフ島 


「ホノルル点描」画:西川幸夫 文章:イースト・ウエスト・ジャーナル永井雄治、榊原百合惠
 30有余年の歴史を誇るハワイのローカル情報誌「イースト・ウエスト・ジャーナル」に掲載された好評コラム「ホノルル点描」が、毎週ご覧いただけるようになりました。ホノルルの街のさまざまな風景を繊細なタッチで描いた印象深い1枚のスケッチに、あなたは何を思うでしょう?
第2回
全米中で最も優れた美術館のひとつ
「ホノルル・アカデミー・オブ・アート」
 南ベレタニア街のトーマスクスエア公園前のホノルル・アカデミー・オブ・アート(ホノルル美術館)は、ハワイ唯一の総合美術館である。 重要なアジア美術品、アメリカ・ヨーロ ッパの絵画や装飾品、19世紀・20世紀の絵画、彫刻、アジア織物、アフリカ、オセアニア、南北アメリカの伝統的な作品などそのコレクションは28,000点を超える。

 ニューイングランドの宣教師の娘としてオアフ島に生まれたアン(1853年~1934年)が、1874年にチャールズ・モンタギュー・クックと結婚し、1882年に現美術館の地に家を建てた。その当時、その家からは何の遮るものもなくダイヤモンドヘッドが、2階からはプナホウ・スクールが見えたそうだ。主人・クックの事業が成功を収めたことから2人は趣味の美術品の収集を始めた。

 クック家の美術コレクションは増え続け1922年にはハワイ領から私設美術館としての許可を得るまでになった。これを機にアンは、正式な美術館の建設を思いつき、自分の土地と25,000ドルの寄付、それにこれまで収集した全ての美術品を寄贈して、1922年4月8日に美術館は開館した。その後、多くの収集家から優れた作品の寄贈があり、所蔵品の数も増え、建物の規模も拡大し、米国内で最も優れた美術館のひとつとなっている。

西川幸夫 プロフィール

1939年生まれ、1961~1994年、新日本製鉄に勤務。北九州や欧州の風景をスケッチ・淡彩画で製作。
北九州でスケッチ・淡彩画教室「四季彩」を主宰。郵便局の官製はがき9シリーズでもおなじみ。他に「ふるさと12景」のカレンダー画をはじめ、書籍の表紙画や挿絵を手がけその仕事は広範囲にわたる。
現在、山口新聞に「長門101景」、ハワイのローカル情報誌イースト・ウェストジャーナルに「ホノルル点描101景」、佐賀市「市報さが」に[思いでの風景]を連載中。
著書に画集「北九州101景」、画集「寅さんが旅した風景」、画集「延岡やすらぎ101景」がある。
2008年6月出版予定の画集「新北九州101景」、2009年秋出版予定の松本清張生誕100年祭 画集「清張紀行101景」(仮称)を目指し取組み中。

公開日 : 2007年 9月 12日

第1回 スティーブンソンの愛した「ハウツリーの木陰」

2007年09月05日 | アート オアフ島 


「ホノルル点描」画:西川幸夫 文章:イースト・ウエスト・ジャーナル永井雄治、榊原百合惠
 30有余年の歴史を誇るハワイのローカル情報誌「イースト・ウエスト・ジャーナル」に掲載された好評コラム「ホノルル点描」が、毎週ご覧いただけるようになりました。ホノルルの街のさまざまな風景を繊細なタッチで描いた印象深い1枚のスケッチに、あなたは何を思うでしょう?
第1回
スティーブンソンの愛した「ハウツリーの木陰」
 ワイキキ地区の東端、ニュー・オータニ・カイマナビーチ・ホテルのロビー海側に、軽食レストラン「ハウツリー・ラナイ」がある。
名前のごとく、ここにハウの古木があるが、この木陰を、「宝島」や「ジギル博士とハイド氏」で知られるスコットランドの文豪ロバート・スティーブンソンが、こよなく愛し、ここで原稿を執筆したと言われている。

 スティーブンソンがハワイを初めて訪れたのは1889年。当時「サンスーシー」(仏語で「無憂」の意)と呼ばれたこの臨海別荘が大変気に入り、1893年の2度目の来布時 にはここに宿泊し、その来客名簿には「すばらしい眺め、新鮮な空気、透き通った海、極上の食事、心奪われる夕陽、その様な所をお望みでしたら、私はためらわずに、サンスーシーをおすすめします」と書き残している。

 サンスーシーとは、ここのビーチの名前で、その昔、ハワイの名家であるマキナニー・ファミリー(デパートなどのオーナー)の別荘があった。 今、レストランを囲っている白い柵は、その頃からの名残りという。1950年代、この土地を地元のビジネスマン・重永茂夫氏が取得し、日本の投資家と共同でカイマナ・ホテルを開業。その後増築し、1976年からニューオータニ・ホテルの経営となっている。時は移り人の姿は変わっても、ここには同じ夕陽の美しさがある。

西川幸夫 プロフィール

1939年生まれ、1961~1994年、新日本製鉄に勤務。北九州や欧州の風景をスケッチ・淡彩画で製作。
北九州でスケッチ・淡彩画教室「四季彩」を主宰。郵便局の官製はがき9シリーズでもおなじみ。他に「ふるさと12景」のカレンダー画をはじめ、書籍の表紙画や挿絵を手がけその仕事は広範囲にわたる。
現在、山口新聞に「長門101景」、ハワイのローカル情報誌イースト・ウェストジャーナルに「ホノルル点描101景」、佐賀市「市報さが」に[思いでの風景]を連載中。
著書に画集「北九州101景」、画集「寅さんが旅した風景」、画集「延岡やすらぎ101景」がある。
2008年6月出版予定の画集「新北九州101景」、2009年秋出版予定の松本清張生誕100年祭 画集「清張紀行101景」(仮称)を目指し取組み中。

公開日 : 2007年 9月 5日