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アロハファンクラブ「藤田まこと」さん

2008年3月20日 10:27 | 2007年秋号 アロハファンクラブ 

 ハワイに来たら、ファミリーでのんびりするのが大好きという藤田まことさん。日本語ラジオ放送へ出演の合間に、大好きなハワイの風景やロコ顔負けの生活ぶりなどをうかがいました。

俳優、歌手
藤田まこと

最初は歌手として芸能界入り。「てなもんや三度笠」で人気を博し、本格的に俳優としての活動をはじめる。1973年スタートの「必殺仕置人」の中村主水役が好評で、必殺シリーズの顔に。もうひとつの当たり役として知られる「はぐれ刑事純情派」は、ハワイでも放送中。


はぐれ刑事inハワイホノルル市長とカラオケ対決!?

fujita32.jpg
アロハストリート(以下アロハ):
藤田まことさんと言えば、年に数回ハワイを訪れるほどのハワイ好き、とお聞きしていますが

藤田まこと(以下藤田):
ええ。実は娘と孫がハワイに住んでいるので、時間があるときは。日本では、年に2~3回舞台などもあるので、なかなか長期に、というわけにはいきませんけどね。今回は今年初めてなんですよ。

アロハ:
そうなんですか。今日はホノルル市長のハネマンさんとお会いになったとか…。

藤田:
彼は大変歌が好きで上手だそうですね。お互いのCDを交換して、来年はシルバー・センターでカラオケ対決の約束をしてきましたよ(笑)。

アロハ:
シルバー・センター訪問は、もうずっと続けていらっしゃるのですね。

藤田:
娘と一緒に訪問して、歌を歌ったりしていますよ。ハワイでお年寄に会うのもいい経験ですからね。

アロハ:
ハワイでは、藤田さん主演のドラマ「はぐれ刑事純情派」が放送されていることもあり、かなり有名人でいらっしゃいます。

藤田:
日本人だけでなく、ローカルの方もたくさん見てくださっているみたいで、とても光栄に思っています。またハワイでは、みなさん気持ちがリラックスしているのか、日本以上に声をかけられるような気がしますね。

アロハ:
藤田さんは、はぐれ刑事だけでなく、必殺シリーズも含め、息の長いシリーズが多いですものね。

藤田:
僕はあまり器用なほうではないので、神様がきっとひとつの役をじっくり演じるようにしてくれているに違いないと思うんですよ。2~3年たたないと、自分の中に役が入ってこないから…(笑)。


家族そろってハワイでリフレッシュ そして新たな役にチャレンジ

fujita13.jpg
アロハ:
今回ハワイにいらっしゃる前は、映画に出演されたとお聞きしましたが…。

藤田:
2008年春公開の「明日への遺言」という作品ですが、太平洋戦争の戦争裁判を描いたもので、僕はB級戦犯で裁かれた、実在の岡田中将を演じました。法廷でのシーンがほとんどで、裁判長も検事もアメリカ人。というわけで、せりふが全部英語。これには参りましたね。

アロハ:
でも、これだけハワイにいらしているのですから、英語には抵抗はなかったのでは?

藤田:
ええ。もちろん英語には抵抗はないんですけど、とにかくせりふを覚えなきゃいけないし、岡田中将がしゃべるのはロンドン仕込みの英語なので。孫に何度も英語の発音を聞いて、かなり直してもらいましたよ(笑)。「全然違う!」って言われっぱなしでしたけどね。孫とは会えば買い物に行ったり、食事をしたり、一緒に遊んでもらっています。

アロハ:
ハワイでは本当にのんびりされているんですね。

藤田:
ま、ゴルフも楽しみではあるんですが。家族でリフレッシュ。これが1番の目的です。

アロハ:
では、藤田さんから見たハワイの1番の魅力はどこでしょう?

藤田:
いつ来ても変わらないっていうところかな。今も昔も同じ風景がそこにあって、訪れる人をやさしく迎えてくれる。それがやっぱりいいですよね。リピーターの人は、変わらないハワイを愛している。だから変わってほしくない。ワイキキもいいと思うけど、僕はどうしてもアラモアナに先に行っちゃう(笑)。

アロハ:
なるほど。藤田さんはもう立派なローカルですね(笑)。ほかにおすすめの場所はありますか?

藤田:
オアフ島に来たら、ダイヤモンドヘッドに登って、頂上からの景色を見てほしいですね。あの眺めは、僕の中のナンバーワンです。

取材を終えて
 終始おだやかな雰囲気で、にこやかに話をしてくださった藤田さん。インタビュー場所となったハワイの日本語ラジオ局KZOOには、ハワイを訪れるたびに出演、リスナーにも親切ていねに接していらっしゃるとのこと。そのやさしい人柄が人気の秘密なのでしょう。一緒にいたお孫さんを見るやさしい視線が印象的でした。

※アロハストリート2007年秋号に掲載した記事です。

アロハファンクラブのバックナンバーはこちら

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アイランド・ミュージック「マイティ・ジェイ」

2008年2月11日 16:16 | 2007年秋号 アイランド・ミュージック オアフ島/ワイキキ 

アイランド・ミュージックをシャッフルするスペシャル・ユニット
Mighty J マイティ・ジェイ

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 ハワイのアイランド・ミュージック・シーンにまたひとつ、新しいバンドが登場した。「Mighty J」は別々のバンドのメンバーでもある女性3人が作ったコラボレーションユニットであり、その形態のユニークさはもちろん、「ハワイのアイランド・ミュージックをベースにしながらも、音楽ジャンルにこだわらないワールド・ミュージック」という未だかつてない音楽コンセプトも、十分に話題を集めるだけのものがある。

 メンバーは、アイランド・ミュージック・シーンの大ヒットメーカーとしてすでに人気も認知度も獲得している女性デュオ「ケアヒヴァイ」のマイラニ・マカイナイ、2000年にシングル『Bidi Bidi Bom Bom』で大ヒットデビューした「Milo Shade」のボーカルのティアレ“ティキ”スアン、「Simple Soul」のボーカル&ドラムのジェン“Jロック”ライトの3人。全員、オリジナルグループの活動はそのまま続けながらの、スペシャル・ユニットなのである。グループ名の「Might J」は、マイ(マイラニ)、ティ(ティキ)、ジェイ(Jロック)という3人の名前を複合させて作られた。

 グループ結成を実際に引っ張ったのは、マイラニ。もともと3人は、ハワイのアーティスト仲間として長年顔見知りではあったが、共演経験はなかったという。地元プロデューサーのDr.Treyことトレーシー・テラダ氏が発信するアイランド・ミュージック紹介のポッドキャスト番組で、Dr.Treyのアシスタントとして番組のホステス役をしていたジェンと、番組にゲスト出演したマイラニとティキが、即興でコラボレーションをしたのがきっかけだった。

 マイラニは、「それぞれ違うバンドに所属する3人が気ままに合わせてみた音に、まったく新しい音楽の予感がしました。この楽しさを一回だけの即興作品に終わらせてしまうのはもったいないと思ったので、とにかくすぐにスタジオに入ってデモを録ろう、と盛り上がりました!(オリジナルの)バンドがまずは大事だけど、そのバンドの外に出たとき、今までとはまったく違った音楽にチャレンジできるという楽しさを3人が同時に『面白い』と思ったことが、Mighty Jが生まれた一番の理由です」と語る。

music_07.jpg

 アルバムタイトルにもなった「Calling Out」は、ポッドキャストの番組中に即興でできたもので、スタジオに入ってからは「あのときの感覚!新鮮な気持ち!」を追求しながら、デモがレコーディングされたという。

「それぞれが所属するバンドのイメージやテーマというこだわりがまったく影響しない分、メロディ、ビート、歌詞のすべてに、『自分のバンドではやらないけど』という遊び感覚は十分でした(笑)」と語るマイラニは、そのデモを持って自らスポンサーとレーベルを探し、コラボレーション・ユニット「Mighty J」としてのフルアルバム制作とリリースまでこぎつけたのである。

 女性ユニットが滅多に生まれないというアイランド・ミュージック・シーンにおいて、人気バンドのメンバーとして着実に実力と経験を蓄えてきた女性3人がタッグを組んだユニット「Mighty J」は、今もっともMighty(強靭)なグループと言えるかも知れない。

ranking.jpgMighty J 「Calling Out」
発売元:Daddy Records

⇒Mighty J オフィシャルサイト


※アロハストリート2007年秋号に掲載した記事です。

「ハワード・ダイカス」インタビュー

2008年1月30日 16:28 | 2007年秋号 インタビュー オアフ島/ワイキキ 

 ハワイの朝のテレビニュース。オフィスのデスクに座ったまま、ハワイの最新ビジネス・ニュースを解説するハワード・ダイカス氏のユニークなルックスと語り口は、お堅い経済界の出来事を朝の楽しみにする人を増やしてしまった。ビジネス経済ニュースを「おもしろい」と思わせる独特の手法と、これまでのキャリアにも影響を与えたというハワイでの生活について聞いてみた。

Howard Dicus / ハワード・ダイカス

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ワシントンDCでジャーナリストのキャリアをスタート。30年以上活躍した後、2001年にハワイへ移住。地元のビジネス新聞パシフィック・ビジネス・ニュース社に入社後、ラジオでニュースのコメントを担当する傍ら、テレビ局KHONの朝の番組でハワイの最新ビジネス・ニュースの解説を担当し、一躍人気者となる。今秋に、テレビ局KGMBの朝のニュース番組に活躍の場を移したばかり。



ビジネスをエンターテインメントにするジャーナリスト

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アロハストリート(以下アロハ):
ビジネス・ニュースという決して万人向きでない分野ながら、ダイカスさんは子どもから大人まで性別を問わず幅広いファンをお持ちですよね。

ダイカス:
「ビジネス・ニュースにファン」というのも妙ですが、おかげさまでいろいろなところで声をかけてもらうようになりました。ニュースの内容より、手書
きのグラフや、「そんな格好でテレビに出るの?」と言われるほどの「洗練されていなさ」について言われることの方が多いですけど(笑)。でも、自分に関係のない世界だから…、と関心の薄かった人が、ビジネスの分野に興味を持っていただけるのはうれしいですね。堅いイメージを持たずにニュースを見てもらえれば何よりです。

アロハ:
確かに、ビジネス経済ニュースと聞くと、「難しそう、つまらなさそう」という先入観が働いてしまいがちですよね。

ダイカス:
私にとっても、すべてのニュースが面白いというわけじゃないんですよ(笑)。ビジネスの分野は多岐に渡るものですから、専門的な知識がないとニュースを理解できないことが多いのも事実。専門家が使う用語は、その分野に明るくない人には外国語と同じですから。専門家がじっくり説明してくれたのに、「で? 結局はどういうことなんですか?」という…(笑)。ジャーナリストの私がそうなのですから、専門家の言葉をそのままメモした記事が、読者にどれだけ理解されるか…。私は「説明のプロ」を自称しているので、訳のわからないビジネス・ワールドをいかに簡単に説明するかを日々実践しているわけです。

アロハ:
ダイカスさんといえば、テレビのニュースでノートに手描きしたグラフや図を使うのがトレードマークですよね。そのノートが、近所のスーパーで売っているお手ごろ価格の黄色いやつ、というのも更に親近感を覚えます(笑)。

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ダイカス:
いまどきのテレビニュースにはありえない手法ですよね(笑)。あるとき、ハワイの健康保険会社の利益率についての記事が地元新聞に載ったのですが、非常にわかりにくい内容だったので、朝のニュースで解説するために、私なりにわかりやすく図に描いて、そのままノートをテレビカメラに向けてしまったのが始まりです。あとでプロデューサーに怒られるかと思ったのですが、逆にそのアナログ度が大受けしてしまったというわけで…。どうも今ではそれを楽しみにしている人が多いみたいですね。

アロハ:
今やハワイのビジネス界、報道メディア界のセレブ的存在になっていらっしゃいますが、もともとはワシントンDCでキャリアを積まれていたダイカスさんにとって、ハワイ移住にはどんな意味があったのですか?

ダイカス:
私の亡き妻がハワイ出身だったので、ワシントンDCに住んでいるときからバカンスで何度か遊びに来ていました。ハワイ移住は妻の望みでもあったので、「いつかは」と思っていたのです。ワシントンDCでは地元の3つのラジオ局でパーソナリティをしていて、ラジオでの仕事歴は37年にもなりますが、テレビの世界に進出したのはハワイに来てからです。私自身、自分はテレビ向きのルックスでもタイプでもないと思っていましたから(笑)、人生はわからないものですよね。ハワイでの仕事はまさにゼロからのスタートでしたが、パシフィック・ビジネス・ニュース社に入社し、ラジオのコメントを頼まれるようになって、あっという間に、今のように仕事の領域が広がっていきました。

アロハ:
ハワイに移住したのは亡くなった奥様のご希望だったでのすね。

ダイカス:
最初にハワイに来たのは1978年で、妻と一緒にバカンスを楽しみましたが、最初からハワイのライフスタイルに惚れ込みました。とくに人のやさしさと穏やかさに驚きました。2001年に移住したのですが、その後に妻が癌に冒されていたことがわかったのです。結局彼女は最後の約3年間をハワイで過ごすことができて、本当に幸せだったと思います。彼女が長年帰りたいと言っていた場所に戻ってこられたこと、その場所で一緒に暮せたこと、そして何よりも彼女がハワイで幸せな生涯を閉じられたことに感謝しています。私も彼女のお陰で今、このすばらしい場所で生活を続けていられるのです。

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アロハ:
ハワイでの生活にはすぐになじめましたか?

ダイカス:
ええ、かなりスムーズに順応できましたね。まずは、ハワイ伝統のオハナ(ハワイ語で家族という意味)の精神が今もそのままに生きていることを実感しました。旅行者時代には触れることのなかったハワイの伝統や生活習慣も多かったのですが、知らないことは知らないと正直に言えば、誰もが親切に教えてくれるのがハワイのすばらしいところです。これはジャーナリズムにも通じるところがあります。知りたいと思っている人に理解できるレベルで説明してあげることで、人間は知識の世界も生活空間も広がっていくのです。

アロハ:
2007年の秋からはKGMBの朝のテレビニュース・チームの一員として、活躍の場を変えられたそうですが、これまでの過密スケジュールはそのまま続きそうですね。趣味やハワイを楽しむ時間はあるのでしょうか?

ダイカス:
今までは平日は朝3時に仕事が始まり、新聞記事を書き、ラジオのニュース、テレビのニュースを発信。午後は昼寝をして、その後は自分のための時間にあてていました。ジャズやクラシック音楽が好きなので、ホノルルで開催される音楽イベントは楽しみにしています。ジャズ・フェスティバルやホノルル・シンフォニーのコンサートにも行きます。もともとじっとしているのが苦手なので、アラワイ運河沿いを散歩するだけでも満足できるんですよ。さっきまで仕事をしていた場所のすぐ隣りに自然もある、リゾートもある、そして温かな人たちもそこにいる。それがハワイのすばらしさでしょうね。


インタビューを終えて
テレビで観るちょっとシニカルなイメージとは全く違う、ソフトな面を見せてくれた素顔のハワード・ダイカスさん。ビジネス経済の話とは離れたプライベートな質問にも快く答えてくださいました。亡くなった奥様との思い出を大切に話される態度に、好感度はますますアップ。新聞社を辞め、テレビ・ニュース・チームの一員となったダイカスさんこれからの活躍が楽しみです。