人に何が見えているのか、何が見えていないかを知るのはとても難しいです。ミーティングなどで、今、彼女が言ったことはとても大事なのだけど、こちらの子たちは分かっているのかな?と顔色をじーっと見ていると、どうも分かってなさそう。そして別な角度から質問してみると、あ、やっぱり分かってない、ということが見えたりする。
分からないような気がする、という曖昧な状態のことを表現するコミュニケーション技術が未熟なだけでなく、何が分かってないのか自分で分からない、というケースが多いようです。だから、教えている人、伝えたい人は、あの手この手で、対象者が本当に分かっているのかを確かめながら、どのくらいの深さで理解をしているのか確かめないとならないのですね。テストの重要性もきっとそこにあります。
単に「分かりますか?」「分かったね?」と言っても、何の反応もありません。が、別な応用問題を出してみると、あれ、できない。やっぱり根本から分かってない、ということも多い。逆もまたしかり。学校の先生って、とてもたいへんな仕事なんだなあと、仕事を教える立場になって初めて分かるようになりました。本当に無関心で無表情で無機質で、イヤな生徒だったな、と30年以上経って学校時代を反省したりして…。
世の中、世代も変わり、役割も変わり、ぐるぐると社会への責任が引き継がれていきます。かつて私を担当してくれた先生たちにできる、せめてもの償いは、あの頃の自分のような、勉強に意義を見いだせない人間を創り出さないように、一生懸命誠意を尽くして人と向き合うことかな、と思うわけです。
昨日も取材が終わった後、8時半くらいからカメラや撮影に関する講義などし始めちゃって、インターンの子たちがビックリしていましたが、奥が深い、だから面白い、と思ってくれた様子で嬉しかったです。本当に、同じ対象物でも、撮る人によって全然変わってしまうのが写真の不思議なところ。教えられることと、そうでない部分とありますが、まずは基礎を知ることで応用に移れるわけなので、大事な時間でした。
どうも私はお節介で、人に教えることが案外、好きみたいです。